ジョージ・オーウェル
1984年 一九八四年
『一九八四年』は一九四九年にイギリスにて刊行されたディストピア文学だ。
舞台は「オセアニア」と呼ばれる架空の超国家であり、そこでは「ビッグ・ブラザー」が絶対的指導者として崇拝され、思想・記憶・言語までもが統制される。オーウェルはこの閉塞した社会を通して、近代理性の崩壊と人間精神の最終的侵蝕を予見した。
物語は三部構成をとる。第一部に於いてウィンストンは記録省に勤め、歴史の改竄に従事する。彼の職務そのものが真理の破壊を意味し、ここに既に「二重思考」(Doublethink)の諷刺が露はとなる。第二部では彼がジュリアと密会を重ね、自由と快楽を取り戻さうとするが、やがて思想警察に捕へられる。第三部は「愛情省」での拷問と再教育であり、オブライエンによる尋問の場面にて、真理とは権力の言葉に過ぎぬことが宣告される。結末にウィンストンが「ビッグ・ブラザーを愛してゐる」と告白する瞬間、個の意識は全的に解体され、悲劇は完結する。
文体は冷厳にして明晰である。語彙は官僚的表現と日常語が交錯し、ニュースピーク(Newspeak)と呼ばれる人工言語の導入により、言語と思考の関係が実験的に提示される。この言語統制の理念は、言葉の削減により異端思想を消滅させるという逆説的ロジックに基づき、後の記号論的批評にも深い影響を与へた(バルト『記号の帝国』参照)。
時代背景としては、ナチズムとスターリニズムの記憶が濃く残る冷戦初期がある。オーウェル自身、スペイン内戦での体験により左翼全体主義の暴力を目撃し、イデオロギーの腐敗を主題化するに至つた。『一九八四年』に於ける権力機構の構造は、マルクス主義の疎外論とフーコー的権力論の先駆とも評される。宗教的には、「ビッグ・ブラザー」は神の世俗的模像として現はれ、監視と懺悔の体系は中世キリスト教の「全知の神」に対する皮肉である。愛情省での告白は聖職者への懺悔を想起させ、信仰の形式が政治的支配へ転化する逆説を象徴する。
主要な象徴は「テレスクリーン」「紙の重り」「一九八四年」という時間そのものである。テレスクリーンは視線の権力を、紙の重りは過去の静謐を、そして題名の年号は歴史の終焉を暗示する。ウィンストンが日記に「自由とは二足す二が四であることを言ふ自由」と記す場面は、理性と真理の最小単位を守らうとする人間精神の最期の抵抗を象徴する。
比較文学的に見れば、本作はザミャーチン『われら』との思想的系譜を共有し、ハクスリー『すばらしい新世界』と対照をなす。ハクスリーの世界が快楽による統制であるのに対し、オーウェルの世界は恐怖による服従である。この二者は二十世紀の権力の二形態、すなはち「享楽的管理社会」と「監視的強制社会」との分岐を示す。言語構造の観点からは、カフカ『審判』に通じる形而上の官僚制の描写が見られ、人間存在の不条理が制度の冷厳さを通して語られる。
受容史に於いて、本作は発表直後に冷戦イデオロギーの象徴として読まれ、英米圏では反共主義の標語として利用された。しかし一九六〇年代以降、左派知識人による再解釈が進み、権力の全方向性(パノプティコン的構造)を批判的に分析する文献が増加した。日本では一九五〇年代に高橋和巳、吉本隆明らの思想的議論と交錯し、言語と暴力の問題として受容された。
後代への影響は甚大である。「ビッグ・ブラザー」「二重思考」「ニュースピーク」は現代政治言語への批判語彙として定着し、監視社会・情報統制・AI倫理といった新領域にも通底する。映像化は一九五六年、一九八四年に二度行はれ、ジョン・ハート主演版は原作の冷徹な心理を忠実に再現した。文学的遺産として、本作はディストピア文学の典型に留まらず、「権力と言語」「記憶と真理」「個と国家」の永劫回帰的問題を提示する思想的遺書として読まれるべきである。
結語に於いて、オーウェルの遺言は単なる政治的寓話に非ず、言葉の消滅に抗ふ最後の文学的祈りであつた。彼が書き記した「思想犯罪」という語そのものが、いまや言語の墓碑である。『一九八四年』は二十世紀の終末を予告し、同時に人間の思考の尊厳を護る最後の文学的城塞として今日も読まれ続けてゐる。
訳者あとがき
読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまうという経・ 験は万国共通らしく、英国でもかなりの人が身に覚えがある、と拷問にかけられなくとも 告白しているらしい。しかも英国での「読んだふり本」第一位がオーウェルの『一九八四 年』だというのである。
下記私も心当たりあるのですが、見栄でしょうか、それとも読んだが記憶に定着したわけではない自信のなさの証明でしょうか。時々友人が哲学書の引用をすぐにできる状態、経営者友人が過去の経営者の言葉を会話の最中に引用しているのも聞き、感動を覚えました。私もそのように出したい時に記憶として保存できるようになりたいと考えており、下記の「読んだフリ」は広義では"読んだが、読み込めていない"も当てはまると考えます。素直に読書したいものです。 ta.icon
作者はジュラ島バーンヒルの僻地で執筆に専心し、結核に蝕まれながら初稿と改稿を重ねた。英本国の出版直前に至るまで病と格闘しつつ文体を研ぎ澄ました経緯が知られる(戦後英文学に稀なストイシズムの記録だ)。
思想生活と二分間憎悪
動物農場
飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した「動物農場」を設立した。守るべき戒律を定め、動物主義の実践に励んだ。農場は共和国となり、知力に優れたブタが大統領に選ばれたが、指導者であるブタは手に入れた特権を徐々に拡大していき……。権力構造に対する痛烈な批判を寓話形式で描いた風刺文学の名作。『一九八四年』と並ぶ、オーウェルもう一つの代表作。新訳版
本 vs 煙草