自分がやっているタスク管理(手法)と違うと人種が違うように思えていた
玄武.icon自分のタスク管理(手法)と違うことをやっているのを見たり、読んだりすると「自分とは関係ないかなあ」と意識から排除する働きがあります。
逆に「GTD」といった単語を見たり、読んだりすると「自分に関係あるかも」という意識が生まれます。
とはいえ、最近はGTD一つとっても自分はGTDを参考にしてタスク管理しているだけで、他の人がGTDだと思っているものと認識が違う部分がありそうだという意識を以下のコメントを頂いてから持つようにもなりました。
まったく個人的な意見ですが、そのリストはタスクリストを逸脱していますし、なんならもうGTDを逸脱していると思います。
GTDではないことをしているというよりは、GTDをはみ出ている、という感触。
そうそう、確かに自分のリストは主観的には「タスクリスト」ですが、客観的にみたらタスクリストからも逸脱しているようでした。
ですが、タスク管理・GTDのひとつ上の階層を考えると、そこには「書き、考え、集め、並べ、読み返す」などの共通の行動があることに気付かされます。
強く言えば、自分がやっているタスク管理(手法)と違うと人種が違うように思える。
一人ひとりの考え方が違うので、違って当たり前とも思える。
DoMA式は、一人ひとりが注意を向けている対象を扱えるのでこの点が素晴らしい。
DoMA式を知ったから、タスク管理・GTDのひとつ上の階層を考えられ、そこには「書き、考え、集め、並べ、読み返す」などの共通の行動があることに気付かされたのかもしれない。