タスク管理原理主義とタスク管理中庸説
今読んでいる本の影響でこのようなことを思ってみました。ちなみに、本はタスク管理とは全く関係ありません。
タスク管理原理主義
理想を基本とし、理想は、人間を超えた外部にある。
タスク管理中庸説
タスク管理を人間と社会や環境などをベースにして行うこと。
振り返って見ると、タスク管理を始めた頃は、原理主義的な考えになってしまったと思います。その理由としては、こちらの記事/rashitamemo/方法による統治にもあるように、同一性からの逸脱を避けたいという思いもあるのかもしれません。現在は、中庸説的な考えになったと思います。このような態度をとることで、社会やツールの変化にも対応していけそうと思えてきます。 玄武.iconタスク管理を始める頃は、タスク管理ができている状態=理想を持っていますからね。
だんだんと折り合いがつく、折り合いをつけるようになるってきますね。
ただ、これは中庸的というより、尖っていたタスク管理のかどがとれて丸くなるという表現に近いのかもしれないです。
ぷーあるちゃ.icon人が歳をとるにつれて、丸くなるのと同じなのでしょうね。現実とタスク管理の理想がぶつかり合ったままでは、タスクが進みそうにありませんからね。
玄武.iconリンク先を拝読しながら、自分はどうやらタスク管理に対して同一性からの逸脱を避けたいという思いを抱くことが少ない人側のように思えました。
タスク管理というのは世に数多ある勉強法と同じように思えるからです。
どんなに素晴らしい勉強法(タスク管理)であってもそれが自分に合わなければ別の方法を探しますし、その勉強法(タスク管理)に頼らないでも勉強(タスク)が進むのであればそれでいいと思ってしまいます。
そうやって、新しい方法を知った時はまず原理主義に徹して、合うのか合わないのかを考え、それを乗り越えた先(理想)により大きいメリットがあるなら自分を合わせようとタスクにしますし、そうでなければそういった方法もあるという情報にして別のやり方で活用できないか考えます(中庸)。
つまり、原理主義と中庸を行きつ戻りつしているようです。
ぷーあるちゃ.icon中庸に固執してしまいすぎるとそれは、原理主義になってしまいますので、いきつ戻りつのゆらぎが大切なのかもしれません。
玄武.icon中庸に固執しすぎると中庸から外れるというのも興味深いですね。