タスク管理は能力を向上させるわけではない
タスク管理は能力を向上させるわけではない
タスク管理幻想p.208
タスク管理をすることで、何かができるようになったとしたら、それはもともとできることが、できるようになっただけです。
rashita.icon僕も思い出しましたw
ぷーあるちゃ.iconタスク管理は能力とは関係はなく、タスク管理で何かをできるようになったことがもともとできることであるならば、タスク管理は、能力を見つける方法にもなりえると言えそう。
玄武.iconなるほど、もともとできることだったのに、それに気づけていない状況があったとしたら、それをタスク管理で気づけることにはなりそうです。
井の中の蛙うんぬんではありませんが、タスク管理は能力を向上させるわけではない、されど自分の能力を知る(見つける)
タスク管理で「やればできるを作る(ちょっと言い過ぎ?)」、タスク管理で「自分探し(どこか別のところに探しに行くのではなく、もともとある自分に気づく)」というのと絡めても考えられそうです。
rashita.iconやるおわでは、ある種の超人幻想への戒めとして、上のようなフレーズを置いてあります。
「自分ではないものに変身できるという期待感」→自分の置かれている環境を無視してしまう
「降りかかってくるあらゆる「やること」ができるようになる」期待感→体力的な無理をしてしまう
巷のタスク管理本では、この幻想への煽りが基本になっているので、そのアンチテーゼとしてのメッセージ
そのメッセージをいったん脇に置いておくのであれば、ある時点でできることAが、タスク管理によってA’に拡大する、ということはもちろんあるでしょう。
https://gyazo.com/327f55c13d533529f3f685ef684dd6ba
ただ、このA'は無限ではなく、自分や環境によって上限があるよ、というのがやるおわの基本メッセージ。
むしろ、これが無限であると考えてしまうのが、「やること地獄」の始まり。
では、「自分探し(どこか別のところに探しに行くのではなく、もともとある自分に気づく)」の具体的なノウハウとは、どのようなものになるか?
超人幻想に引っ張られないタスク管理
玄武.iconなるほど、なんとなくですが、タスク管理そのものが超人幻想にブレーキをかけるという面もありそうです。
最初は確かに、タスク管理に「自分ではないものに変身できるという期待感」を抱いたとして、タスク管理を始める。
一度目のタスク管理の始まり。
タスク管理ができるようになる(できてくる)ほど、「ああ、降りかかってくるあらゆる「やること」ができるように」はならないのだなと気づかされる。
そこで、タスク管理もやはり(他の自己啓発書にあるよくある手法と同じように)ダメだったかと手放してしまうのではなく、そこから再び(自分や環境を土台とした)タスク管理を始める。
つまり、タスク管理は二度始まる。
rashita.iconここには分岐があるように思います。
ならないのだなと気づける人
そのまま「自分の方法」を構築していける
ならないのだなと気づけずにいる人
できるようになる素晴らしい管理方法を求める放浪へと旅立つ(永遠のノウハウ探し)
あるいは、タスク管理への無力さ・無関心さ・嫌悪が生じる
このように想定することで、タスク管理をやってみたけども、いまだ超人幻想の中にあって、苦しんでいる人の存在が了解できます。
この界隈では少ないかもしれませんが、案外そういう人は多いように思います。
玄武.icon確かにこの界隈にいる人は、「ならないのだなと気づける人」だったということはありそうです。
rashita.iconこの問題を別の視点から眺めれば、「タスク管理ができるようになる」とはどのような状態を指すのか? です。
GTDの基礎を学び、ユビキタスキャプチャーも行って、週次レビューをしているけども、「そうはならないのだ」と気づかずに、自分の体に無理をさせ、しかも自分の成果を残念がる人が少数おられます(若い人ほど、そういう傾向が強いようです)。
やるおわ、が危惧していたのは、上記のような人を再生産しないことだったので、徹底的に超人幻想にカウンターパンチを放ちました。
そのような状態が、仮に「タスク管理ができていない状態だったのだ」とするならば、では「タスク管理ができている状態とはどのようなものなのか」が気になってきますし、そうでないのならば、何が足りていなかったのかが気になります。
理論の構築というよりも、現実的にこの話題関係で苦しんでいる人を一人でも減らしたいという実際的な願いが僕の中にはあります。
タスク管理そのものが超人幻想にブレーキかける効能を期待できるにしても、タスク管理さえやっていれば、超人幻想に陥らなくて済む、というのでは十分ではないのではないかと思います。
別の言い方をすれば、「タスク管理そのものが超人幻想にブレーキかける効能を期待できる」なら、それを最大化するためにはどうすればいいか、という問い立てにもなります。
玄武.icon思うに、タスク管理ができている状態というのは、自分でやると決めたことが全てできている状態ではなく、自分のキャパ以上のことを今はやらなくていいと思える状態なのではないかと。
やること、やりたいことに限りはなく、そこで重要になってくるのは、それら有象無象が自分や環境を鑑みて今はやらなくていいと思えるように管理すること。
つまり、タスク管理の実際は、やること管理ではなく、やらない(やれない)ことのために管理するのが主であるのではないかとの仮説です。
rashita.iconこの仮説は、結構大きいインパクトがありそうな仮説ですね。探究してみる価値がありそうです。
玄武.iconタスク管理を、やること管理ではなく、やらない(やれない)ことのために管理することを主として組み立てることで、自分から自分、自分から他者(家族、同僚、上司、部下など)、他者から自分に対する、自主的・強制的含めた、その超人幻想をぶち殺す(壊す)(まではいかないまでも)、何かしらの足がかりにはなりそうです。
デビッド・アレン氏の「一番うまくいっているプロジェクトはリストにないことだ」(引用元が思い出せないので意訳で申し訳ありません。アレン氏のツイートにも同じようなことが流れていたように思えます。
これまでにもっとも成功したプロジェクトは、一度もリストに載ったことがない
でした
ここから翻ってうまくやれない・うまくいかないことだからこそ管理の対象となる
とはいえ、これはどちらかというと理論(ほど強くなく論理ぐらいですが)の構築よりですので、実際的な願いという観点からは、見直す必要はありそうです。
rashita.iconおそらくこれは、タスク管理の〜、というよりもノウハウの〜、というやや全般的な問題の一部なのでしょう。超人幻想を頼りにノウハウにアクセスすると、思う成果が達成できないときに、「もっとよいノウハウがはるはずだ」「できない自分がダメなのだ。だからもっと能力を上げねば」という考えが湧いきやすい、ということなのだと思います。
それが「英語の勉強」というのなら多少の自尊心の傷つきぐらいですみますが、タスク管理はセルフマネジメントなので、ここで躓くとダメージがでかいだろうし、慎重であった方がいいなと思う今日この頃です。