秀才的なタスク管理は管理者不在の管理に近づく
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本人が管理しようとしていなくても管理できている状態に近づく
つまり、管理者不在の管理はない。むしろ、管理者の存在が、管理を定義する。
ある状態が望ましいものに保たれているとして、そこに意志が介在していないなら、それは管理ではない。
そして、その意志の介在のさせ方(工夫)こそ、興味を覚えるタスク管理
楽しくいきるための技術、楽しくいきるための工夫
人はすでにできあがったもの(持っているもの)に対するよりも、持っていないものを作った(創った)ことや工夫に叡智・興味を覚える
そうして人(書き手)が興味を覚える方向にリンク・ネットワーク(あるいは樹形図)が広がる
タスク管理界隈ができあがるのはこのため
いわば、テスト勉強で教科書を一回読んだだけで頭の中に教科書ができあがるような人の勉強法が一般的には通じにくい
同じように仕事ができる人のタスク管理方法は相対的に簡便なものとなる(仮説)
実は、対面できる機会があるような方で、この方の管理方法はすごいなと感心するような方と会ったことがない
だからといって、同じタスク管理方法をやろうとするのは、上述の「教科書を読めばいいんだ!」と思ってやることと同じ結果になりそう。
それでいい人もいれば、できない人もいる
そうした秀才のタスク管理は、一般的には通じにくくなる?
残りは本人の資質でカバーされている。