ログに対する問題提起
問題提起ぷーあるちゃ.icon
わたしは長いこと、タスクシュートを使い、膨大な数のタスクログを記録してきました。
ログを残すことは、大事だとずっと思っていました。
しかし、最近は、ログ自体がそれほど重要ではないのでないかと思っています。
それといいますのも、ログをほとんどみないし、レビューもしない、GTDの高度モデルみたい高い視点から見直しもしないのです。
そのかわり、タスクリストを作って、実行したとか、実行したログを残したとか、こういう行為の体験が大事なのではないかと思っています。
皆さまに問いたい。
ログって重要ですか。
(ログを残さなくてもなくてもいいと考えているわけではありません)
rashita.icon
ログが重要であり、そして重要でない、というのがrashita.iconのいまのところの答えです。
まず、蓄積し参照される情報として、「タスクリスト」(やそれに類するもの)が保存されていることにはあまり意義はないと思います。保存されていたら、「家族の写真アルバム」のような楽しさはありますが、基本的にはそれ以上ではないでしょう。記録マニアな人たちの実益を兼ねた趣味の延長線上だと個人的には思います。
一方で、ぷーあるちゃさんがおっしゃるように、ログを残していく(特に意識的に残していく)こと事態には大きな意義があると思います。個人的に、記録に価値を置いているのはこちらの方です。 たとえば、Tak.さんはログ的なものをこれまでほとんど残してこなかったと言われていますが、もちろんそれによって失ったメリットもあるでしょうが、変わりに得たメリットもあるはずです。そういうトレードオフが見えにくいのが困難なのですが、その話はやめておくとして、「ログを残しておけば、あらゆるメリットが享受でき、そしてデメリットは一つもない」ということはないように思います。
これはとても大切な話なので、またCampの方でも考えてみたいと思います(ちなみに、今書いている本のテーマに重なる話でもあります)。
玄武.icon
ログは半分あればいい、というのが玄武.iconのいまのところの答えです。
玄武.iconの書くタスクの文章の半分は過去で、半分が未来に向けてます。
「Aしたので、Bする」といった書き方をよくします。