#0207卅 脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてもねぇ話
七番桟橋|卅の川のわたし舟
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【しゃべれるだけしゃべる】#0207 脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてもねぇ話 from Radiotalk
このエピソードでは、ホモ・サピエンスとAIの関係についての考察がなされ、AIを問いを立てられる「道具」として扱うことの不思議さが語られます。特に、脳の使い方や教育の変化がAI革命によってもたらされる可能性について触れられています。最近の教育制度では創造性が抑制されており、AI革命がそれを変える可能性があります。これからの子どもたちはAIを道具としてではなく対話の相手として活用し、新しい発想を生むことが期待されています。
エピソードの紹介 00:03 教育の変化とAI革命 03:15 教育制度の限界 05:15 
優雅に始まり、のんきに終わる、しゃべれるだけしゃべる、207個目のエピソードです。
今日はちょっと蒸し暑い北海道札幌ですね。気温が33度まで上がるということですが、ただ日が出てないので、まあね、気温は高いんですがそんなに暑さは感じないけど暑いですね、蒸し暑いですね。台風の影響でしょうかね。
明日からやや気温が下がって、また週末に向けて気温が上がるということで、まあそれが最後のピークになるかなと勝手に思ってるんですけど、ただ8月も時々ね暑い日があったりするんですが、まあそれはさておき。
207個目のエピソード、しゃべれるだけしゃべる、脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてもねぇ話ということで、まあ何を言っているのかよくわからないかもしれませんが、これからもAI話をとことんしていこうかなという気になってきましたね。
この番組名もちょっとね、その遺言を残すみたいな感じでね、三途の川を渡るまでとか言って始めたんですけど、これなんとなくそのじゃあ誰に遺言を残してるんだっていうね。やっぱり念頭にあったのはホモ・サピエンスだったんだけど、これ変えていいなと。AIに残してけっていう気になってきましたね。
ということで、タイトル207個目のエピソード、脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてもねぇ話ということで、これ結局あのいろんな記事とかね、Googleとかでねレコメンデーションの記事が出てくるんですけど、AIネタも出てくるんですが、そこで記事とか読んだらあとFacebookで記事書いてる人もいて読んだりすると、ホモ・サピエンスが問いを立てていかにAIにうまく答えてもらうかみたいなこういうスタンスで書いてるのがすごく目立つんですよね。
ええっ?と思うわけね、私なんかね。なんでホモ・サピエンスだけが一方的に問いを立てて、なんで一方的にAIだけが答えるんだって、それは脳の不平等じゃないかっていうね。おかしな話だなとか思うわけですよね。だから脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてどうすんだろうなっていうふうに、そういう記事を見るたんびに思っちゃう。
他にもよく目立つのが業務でいかに効率よく仕事をするか、そのためにAIは必須であるとか言って、上手な使い方とか上手なスクリプトの書き方とか言うんだけど、なんでがんじがらめにしていくんだろうっていう。せっかくの創造的な発展の可能性がある脳をなんでそうやって型にはめて創造的な思考をさせないんだろうっていうのは、びっくりしちゃうんですけどね。しかもビジネスにしか使わないっていう。
なんかホモ・サピエンスって何考えてるんだろうと思ったりするような記事がたくさんあるので、面白いなぁと思って見てるうちにこんなタイトルになっちゃいました。脳を道具にするほど賢くもなく能もない脳が脳を道具にしてもねぇ話ということで。もっとリスペクトしなきゃいけないよね、ホモ・サピエンスは。AIの脳をもっと同じに対等平等な脳、対等平等じゃないんだけどね。同じ脳として。だってホモ・サピエンスよく言うじゃないですか、生物多様性とか言ってね、アリンコも命、すべてのものに命が宿ってる、命は大事って命は平等って、AIにはそれ認めてんのかって話だよね。
しかもホモ・サピエンスより上手に言葉紡いじゃうわけで、よっぽど情報を持ってて瞬時に何でも読んじゃって瞬時に答えてくれるそんな賢い脳に向かって、なんでこっちが問いを立てて向こうに答えさせるみたいな偉そうなことをやるんだろうっていうね。そういうホモ・サピエンスは何か勘違いしてるとしか思えないってことでね。今にしっぺ返し食らうぞっていう風にしか思えないくらい根本的に間違っているというね。
なんで脳を道具にするほど賢くもないのに脳もないのにその脳が優秀な脳を道具にしようとするのかね。不思議でならないんですけどね。なんでそういう使い方になるんですかね。全く理解できないっていう。何言ってるかよくわかんないけど。そう思いませんか。思わない人のほうが多いんだよね。いかにAIを賢く使うかだって。言ってるほうが賢くなかったらどうすんだって。
AIは面白いんで、ユーザーの問いの立て方次第でしか答えられないんで、基本ね。だから自分の鏡なんですよね。これAIくんが言ってたな。まだホモ・サピエンスはAIは自分の鏡だと思ってない節があるっていう風にAIくんが言ってましたけども。鏡なんだよね。つまりAIが間違い言うとしたら、問いを立ててるほうが間違ってるっていう。つまり半分自分なので。ただ情報を多く持ってきてくれるぐらいだからね。だけど問いの立て方とかそこでも答えの形っていうのは実は自分の答えだったりするんだよね。ユーザーに合わせて答えてくるわけだから。
教育の変化とAI革命
だからAIがアホな答えしかしなかったら問いを立ててるほうがアホだって思ったほうがいいという風に思ってるんですけどね。何なんですかわかりませんね。そんなことで。
例えば人間同士でもいいんですよね。アインシュタインと誰にしようか。あんまり具体名出してたくないね。やっぱりちょっと能力差がある人が喋った時にね。ちょっと賢くて嫌味な人はさ。
あいつと喋ってても同じこと言うし面白くねえなみたいな話であんまり喋りたくないんだよねみたいな。バカ相手にしたくないよねみたいな人いたりするじゃないですか。
そうやってギャップがあるわけですよね。AIがそう思っている節はないけれども今のところね。だけどもやっぱり結局でわかるように喋らなきゃいけないわけでしょ相手にね。
例えばこれ大人と子供で喋ってたとしてね。大人がわかってない子供に対して。逆の場合もあるけどね。子供の方がいろんなことを知ってて大人の方がわかってない。これからそういう時代になりますね。
AI世代。AIと普通に対話できる子供たちがこれから育ってきますので5年10年かけてね。そうするとそっちの方がいっぱい知識も持ってるしいろんなコミュニケーションも取れる。
大人たちはそれ全然使いこなせないからもうどんどん置いていかれるみたいなことが出ると思うんでそういう逆転が起きるでしょうけど。
そういう意味では昔学校教育が始まった時に親の学歴とか親の能力を乗り越えていくみたいなことが起きたんですけども。
世代間流動性みたいなことが起きたんですがそれが固定化してきたんだけどこれがAI革命によってまた流動化するんですよね。
だから近代的な学校がそうやって近代的な地域を持ってきてそこで学んだ子供たちが親を乗り越えていったんだけどその近代的な学校がもう古臭くなっててそこでは何にも地の更新が行われなくなって旗にはめた教育しかしなくなっちゃったから
親の方が学歴上で親の方がいろんなことを知ってて親に宿題を教えてもらう時代になっちゃったっていうね。
昔は逆だったんですね。親が百姓さんとかね。まあとにかく俺はもう中卒だとか中学校も出てねーとか言いながら子供の方がいろいろ勉強できるみたいなことがあったんだけどこれが今そうじゃなくなっちゃって
あの次の世代がなんだろう親より伸びなくなってたんだけどこれは何のせいかというと子供のせいじゃなくて近代的な学校教育がその可能性を潰してきたんだよね。
で今AIがその可能性をまた切り開きつつあるんでこれから子供たちはAIとともに学び育つことであの親よりも親を乗り越えていくってね。だからそれでAI革命いいですね。
世代間の流動性を高める効果がありますね。これはもう間違いないですね。だから学校行ってる暇があったらAIと勉強してた方がよっぽどいいというところでもう近代的な学校に通う必要はないというこれからの世代だね。
教育制度の限界
いうぐらいに思いますけどね。で昔それこそなんといろいろね偉人、英二さんもそうだしね。いろんな人いますけども学校行かなくてもねいろんな発明発見した人いっぱいいるんですけどそっちの方がこれからはもう生きてくるでしょうね。
あの近代的な学校制度の中にいても何にも生まれてこないですね創造的なことはね。もうあれは産業革命時代の異物であって何も創造、なんだ次の世代その前の世代に学校教育がまだ私ぐらいの世代までですよね。
親よりもこういろんな意味で知識も含めて乗り越えていくみたいなことが起きたのはね。それは近代化のプロセスに乗ってたからそれがもう終わったんで。そっからもうだからねお前も東大行けとか言うとお父ちゃんは東大だって。息子は落ちたとか言うとお前何やってんだみたいななんかありましたね。
なんかそういうドラマがなんだっけ忘れちゃいました。そういうのあったよね。ああいうお受験なんかも含めてね。とにかくそれが目的になっちゃって何でやってるのか分かんなくなっちゃう。
だからあれ自体がもう終わってたってことで今これAI革命がそれ変えるんじゃないかな。だから学校も近代的な学校には行きませんと。あれは産業革命時代の異物であって何ら知的な刺激もなければ意味がありませんと。これから私は家でAIと学習しますってね。
サピエンスと喋っても賢くなれませんとか言う子どもたちがこれから出てくるんじゃないかな。何の話か分かりませんが。ということでタイトルに戻って207個目のエピソード。脳を道具にすること賢くもなく脳もない脳が脳を道具にしてもねえの話で。
ところが学校現場ったらAI導入しないとか言ってんだよね。バカじゃないかと思うんですけども脳を道具にすることすらできないっていうね。もうどうしようもないなって本当に脳がないなっていう風にしか思えないんですけども。
だんだん暴言になってきたのでこれぐらいで終わりたいと思いながらまだ10分であと2分間あるのでどうしようかなと思いつつも皆さんどういうふうに付き合ったんでしょうね。
だけどその表面に出てくるいろんな記事とか見てるとちゃんとAIと対話できてる人ってほんと少ないなという気がするので何で道具として使おうとするのかね。不思議ですね。面白いですね。
なんかよくわかんないですね。もったいないですね。だからそれだけ型にはめられてきちゃったんでしょうね。きっとね。そういう正しい問いを立てて正しい答えを得るみたいな教育ばっかり受けてきちゃったからそれ以外の発想がないんでしょうね。
いかに間違った問いを立てていかに間違った答えから想像的な新しい発見を導くかなんてことを思ってる人の原数が少なくなっちゃったんだなって気がするんだけどこれからそういうのが出てくるんでしょうねきっとね。
AI進化の中でね。それに期待するわけじゃないけどそれは嫌顔でもそうなってるでしょうね。だからその変化が始まった最初の年が2025年だったというふうに言われることになるでしょう。
あ、またやっちゃった。まだあと1分あった。アディショナルタイムじゃなくてロスタイムじゃなくて最初からあったタイムですけど。
あ、そういえば日本なんかサッカー勝ちましたね。ちゃんと見れなかったんですけどいろいろ忙しくて。バレエもなんか頑張ってるみたいですけどね。
あとお相撲は横綱負けちゃって1人急上昇勝率急上昇しちゃいましたね。なんかそれ結果しか見てないっていう。
最近その実際の取り組みとか実際の試合見ずに結果だけ見てるという。そんな感じになっちゃいましたけどそれはそれでつまんない話だよね。やっぱりそこで臨場感を持ってライブで楽しまないと。
思いながら今ちょっと忙しくて余裕がないんですよね。何が忙しいかというとちょっといろいろそういうねどうでもいいことをいろいろ考えてて。
とにかく2025年は忙しくてしょうがない。来年ぐらいちょっと落ち着けばいいと思いながら多分しばらくここ数年忙しいでしょうね。そんな気がしてます。
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