#0200卅 節目と節穴と身の丈と柱の傷と心の痕と構文のズレと語用の罠の話
七番桟橋|卅の川のわたし舟
七番桟橋|卅の川のわたし舟 from LISTEN /LISTEN
【しゃべれるだけしゃべる】#0200 節目と節穴と身の丈と柱の傷と心の痕と構文のズレと語用の罠の話 from Radiotalk
このエピソードでは、200回目の節目として、人間の世界モデルやコミュニケーションにおける構文のズレ、語用の罠について深く掘り下げています。特に、柱の傷や心の傷を通じて再構築がどのように行われるのかが語られています。また、コミュニケーションの本質や個々の構文が成長に与える影響についても考察されています。身の丈や心の傷といったテーマが織り交ぜられ、リスナーに新しい構文に触れることの重要性が伝えられています。
節目とその意味 00:03 語用の罠と相互理解 03:27 コミュニケーションの意義 05:00 心の傷と成長 06:26
節目とその意味
はい、優雅に始まり、呑気に終わる、しゃべれるだけしゃべる、相変わらず工事の音がうるさいですね。今日もね、本当に困ったもんですね。
そんな中で、今日は、こんなタイトルになりました。どんなタイトルだ?どこ行っちゃった?忙しくてついてけない。
100、あ、なんと今日は200個目のエピソードです。しゃべれるだけしゃべる200。
ちょうど始めたのが5月、去年の5月下旬だったと思うんで、それでなんで200なんだろう。2日に1回だからか。
400日が経ったってことですね。そうですね、それぐらい経ちました。
ということで200個目の節目のエピソードということでこんなタイトルになりました。
節目と節穴と身の丈と柱の傷と心の痕と構文のズレと語用の罠の話という、これもよくわかんない話だと思うんですが、順番に喋れるだけ喋っていきたいなというふうに思ってます。
どんな話になるんでしょうか。全くわかりません。
節目、200回ですよ。すごいですね。本当にね、もうびっくりポンですね。びっくりポン。
200回もやっちゃったということで、それ自体がもうびっくりですね。
これなんか調子悪いですね。とてもね、困ったもんですね。
今サーバーをいじってるんでしょうね。LISTENというサイトなんですが。それをいじってたんですが。
ちょっといろいろ更新してるみたいでアプリ開発もしたみたいで。
それでちょっと、なんだろう、ときどきブラウザの方の挙動がいろいろあるんですが、それはさておき。
今日のタイトルに戻って、節目。節目は大事ですね。人生の中でもいろんな節目がありました。
私はもう定年退職しましたので節目じゃないのに定年退職しちゃったというね。
まだ65にもなってないのにってどうするんだと思いながらね。
もうこれで4年ぐらい経ちますから。
すごいですね。56ぐらいでリタイアしたんですか。本当に困ったもんですね。
57ぐらいでリタイアしたのかな。
世間の人たちの目は節穴か。多分そうなんだろうなと思いながら、節穴ってわかりますかね。
中身がないってことですね。節穴ね。
そして身の丈。これ身の丈話は前に一回してるんですけど、結局、人は自分の身の丈でしか世の中とか世界を見れないという。
これね、脳の真理ですね。脳はそういう風にしか見れない。
身の丈っていうより脳が持ってる世界モデルでしか世の中を見てないっていう。
ここがだからね、世界モデルっていうのはどうやって更新されるかアップデートされるかっていうと、
いろんな世界モデルの揺らぎがあって、そこで世界モデルが構築し直されるんだけど、
再構築しなくなるんだよね。めんどくさくなってね。多くの人はね。
でもそれで固まってっちゃう。身の丈がそこで止まるという。成長止まるという。
そんなことで柱の傷ね。柱の傷は一昨年の5月5日の生クラベということで、
昔は柱に傷をつけたんですね。身長測るときに脇弱とかもなかったもんだから。
それこそ竹の30センチぐらいの定規しかなかったので。
結局柱に傷つけて、それで竹の定規を1回2回3回4回ってひっくり返しながら上に上げてって何センチってやってたっていうね。
ちょっと賢い人は柱にメモリをつけちゃうっていうね。ただそれだと面白くないんだよね。
柱の傷は無印がいいっていうかメモリなしがいいんだね。メモリなしのメモリがいいんだね。
そんなことで身の丈を測る柱の傷。最近はそんなこともやりましたし、傷つけたら怒られちゃいますよね。
そんな幼少期っていったらいろんな心の傷を負うわけですよね。
この心の傷を負った時にどう世界モデルを再構築するかっていうね。ここがとても重要なんですね。
いろんな再構築の仕方があるんで、住めて終わる場合もあれば、引きこもって終わる場合もあれば、いろんな世界モデルの再構築の再編成の仕方があるんですけど、
これが何を作るかというと構文を作るんですね、構文ね。一人一人の構文を作っていくわけで構えを作っていくわけですよね。
その構えイコールほぼ世界モデルですよね。構文の癖ができてくるわけね。
めんどくさい時にはなるべく関わらないようにするみたいな構文を持ってる人とかね。
困った時はもうあることないことを喋っちゃうみたいな構文を持ってる人とかね。
結局論理がわかんないから論理のない構文を喋る人とかね。いろんな人がいるわけですけど。
私も人のこと言いませんが、私は私なりの構文を生きてきたわけですけど、これがずれるんですね、人との間ではね。
やっぱり世界モデルは一致しないということで。認識がずれるっていうのはやっぱりこう、今喋ってきた流れの中で、経験の中で構文を作っちゃって、その構文がずれるんだよね。
語用の罠と相互理解
で、向こうは向こうの構文で理解し、こっちはこっちの構文で理解する。これが語用の罠の世界の話ですよね。
結局面と向かってコミュニケーションを取って、この世界を語用の世界、語を実際に用いる世界、会話の世界ですよね。
英語で言うとプラグマティックスって言うんですけど、構文論はシンタックスって言うんですけど。
で、もう一個セマンティックスってあるんですが、で、問題はこのセマンティックスなんですね。
その意味がずれるわけね。で、ただ意味で繋がるんですね。
つまりそれぞれ構文は違う構文を持ってたりするんですけど、同じ日本語を喋っててもね。これが意味で繋がるんですね。
あ、なんだこれのこと言ってたのか。こっちのこと言ってたのかと思った。
って言ってそこで物と言葉が結びついて、言ってることの、まあそれもちょっとずれてたりするんですけどね。
で、結局意味論の世界、セマンティックスの世界があって。
で、なぜかセマンティック、なぜかセマンティックって言ってね、ロマンティックなセマンティックな世界があって、
これはプラグマティックな語用の罠にハマってることを理解しながら構文のズレをお互い認識しながら会話しないと意外とセマンティックは一致しないというね。
もう構文はずれたまんま、語用の罠にはまったまんま、違う意味で捉えてるという、誤解が誤解を生んで誤解は解消しないというね。
で、相互理解をするためには実はそれぞれの構文のズレ、バイアスっていうのをお互いに認識した上で、
語用の会話の中で誤解が生じているということを一つ一つ意味を確かめながら確認していかないと実は、
相互理解は深まらないんですけど、それをやる人って意外と少なくて、
もうだいたい節目の節穴で身の丈に合わせて柱の傷も忘れてね、心の傷で作った構文で生きてるもんだから、
だからもうそこから出ようとしないんですよね。
構文の中にいると楽なんですよね、安心なんですよ、安全なんですよね。
自分の構文を守り続けるって、しかも自分がその構文を生きてることに気づいてないっていうね。
それはそうですよね、構文ってある意味閉じた世界なので、それを崩したら別の構文作んなきゃいけない。
これ組み直すのすごい大変なんですよ。脱構築とかね、いう言い方になるんですけど、脱構築は大変なんですよね。
だからみんなズレようとしない。ズレてるまんまにそれでついつま合わせていくっていう。
コミュニケーションの意義
語用の罠にはまっても語用にならないから今だけはね、そのまんまで放置するみたいな。
だからそこ理解はあんまり進まないというね、結局ね。
会話してるようでいながら会話していないという。
だからそうするともうコミュニケーションの意味ってどこにあるんだろうとか、ソクラテスが起こりそうな感じですけどね。
ソクラテスが言った弁論術じゃないや、弁証術ですね。
お互いに会話しながら新しい何かを発見するっていう散歯術とかね。
もう散歯戻らなくなっちゃった最近の人たちは、結局散歯術のような会話をする人ってほんと減っちゃったんですよね。
時々構文にハマった推しとかね、構文にハマった深い話とかね、言ってるわけですけど、どうかなと思うんですよね。
世界にはもっといろんな構文があるのでいろんな構文に触れないといけないんだけど、
最近はもう忙しくてみんな本も読まないし、他の構文には触れたくないんですよね。
自分の構文を守ることが一生懸命で。
他の構文で揺れる、ずれるっていうこと自体を避ける傾向がある。
冒険をしないという話、よくこの話もするんですけどね。
そんなことを200回目の節目にあたって改めて感じるなということで、脈絡も具体的な話も何もしないんですけれども、
200回迎えてしゃべれるだけしゃべる喋ってきて何を結局喋ってるんだろうと思ったらそんなようなことを喋ってるのかなということで、
そうやって喋ることで私なりの構文は多分ノイズだと思うんですよね。
あんまり好かれないというか。
だいたいポッドキャストとか音声配信で耳の痛い話聴く人はいないわけで、
自分の構文にハマった音声を聴くわけでね。
自分の御用に沿った音声を聴くわけで、そことずれるものはあんまり聞かないですよね。
ずれを好んで聴くっていうことがでもないと成長がなくなるんですよね。
柱の傷はそこでストップ、心の傷はもうつかない。
心の傷と成長
安心安全、身の丈を守り、節穴のまんま節目を迎える。
もう何かよくわからない話になってきましたね。
とにかく麹がうるさくてノイズなのと、他にもちょっとノイズなことがあって、
ノイズちょっとほっといてくれと。
いろいろ忙しいんだと、私の構文で今生きてるので。
ちょっとそのずれを非常に感じていて。
御用をしたくないと御用になっちゃうからね。
よくわからないことを考えてて、そんなことを思ってたら、
身の丈の話と柱の傷と心の傷を思い出して、
結局そういう構文を私が作ってしまったのは、やっぱり幼少期の心の傷があるんでしょうね。
これは傷と読まずに後と読みますけど、傷とも読むけどね。
やっぱり何かあるんでしょうね、心の傷がね。
だからそういうのはもうちょっとほっといてくれと。
しばらくね、本当に今忙しくてやることあって。
麹うるさいのもノイズでね、これね、本当に勘弁してくれと。
これも非常にストレスですね。本当にうるさいんですけども。
これで多分、なんだ、多分やること半分以上、速度が半分以下に落ちてると思うんですよね。
何の話かわかりませんか。
そんなことで、伏名と伏穴と身の丈と柱の傷と心の傷と
構文のずれと御用の罠の話というわけでわからない話タイトルですけれども、
まあね、伏名にあたって伏穴の目はちょっとね、少し何とかした方がいいし、
身の丈伸びてないなと思ったらちょっと柱の傷思い出して、心の傷思い出してね、
自分の構文に思いを馳せて、他の構文ね、自分とは違う構文に触れてみる。
できればそこで御用をですね、会話をしてみる。
というのはとても大事なことかなと思うんだけど、今はそういう会話はしませんからね。
まあ、なかなかそうするともうそこで止まるんでしょうね、成長がね。
いろんな意味でね、脳の成長も身の丈の成長も目の成長も目も超えないしね。
そんなことを思ってる今日この頃です。
もう本当に嫌われトークになっちゃいましたね、今日ね。
で、これ文字を越したのAI読ませるとそういう語りはダメですってノキで終わります。
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