#0190卅 講義室で学ぶ時代はとうの昔に終わってるのにまだ続けている謎な話
七番桟橋|卅の川のわたし舟
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【しゃべれるだけしゃべる】#0190 講義室で学ぶ時代はとうの昔に終わってるのにまだ続けている謎な話 from Radiotalk
コロナの影響で学び方が変わる中、講義室や教室、時間割の必要性が問われています。特にオンライン学習の普及に伴い、従来の教育方法は時代遅れとされ、学生にはより自由な学びの選択が求められています。現在の教育システムにおいて、従来の講義形式はもはや時代遅れであると指摘されており、特にAIの登場により、学生の学び方や授業の在り方の見直しが急務とされています。
ノイズ環境での学び 00:03 教育システムの見直し 02:47 講義形式の限界 05:14 AIとの新しい学び 06:50
ノイズ環境での学び
はい、夕方に始まり、のんきに終わる。ノイズな環境の中で今日は優雅に始まって、のんきに終わりたいと思います。
向かいの家が工事していまして、ガーガーガーガー、うるさくてもうノイローゼになりそうな感じなんですが。家の中にこもってね、今日、そこそこ気温が上がっている北海道札幌なんですが、といっても22、3、4、3度4度ぐらいなんですけど、
あのね、窓閉めて家の中で、静かにしてやるのもなんかアホらしいなと思って。もうどれだけうるさいか聴いてもらおうと思ってね。もうこれね、ちょっと騒音公害だぞっていう感じで、
ほんと勘弁してほしいなと思うんですけど。まあそんな中でね、どれだけうるさいかを聴いてもらいながら、静かな環境じゃないと勉強できないという風に言われた時代もありましたが、そんな時代はもう終わったので、ノイズな中でも学びは続けると、なんかよくわかんないね。
しゃべれるだけしゃべる190個目のエピソード。講講義室で学ぶ時代はとうの昔に終わってるのにまだ続けている謎な話ということで、これ最近、これ昔から言ってるんですけど、あの特にコロナの時に、
コロナの時に、もう講義室いらないし教室いらないし時間割いらないじゃんって言ったんだよね、私ね。
もう大学で教えてたんですけど、もう行かないし、行かなくてもリモートで全部できるじゃんって言って、講義室いらない時間割いらない。時間割からの解放、教室からの解放をコロナの時にオンライン革命を進めるんだと、オンラインオンデマンドで学ぶ時代だと、それこそ学修者本位の学習だとかね、言ってたんですけど、コロナ終わったらみんな元に戻しちゃってね。ほんとに馬鹿げてるなと思いながら、
もう講義とレポートの時代は当の昔に終わってると、もうずーっと言ってんですが、なぜか講義とレポート形式にこだわり続けるこの惨状ですね。そんな中で少子化の中で学生集まらないって、集まるわけないだろうと。講義とレポートと教室と時間割に縛り付けたらね、集まるわけないだろうと私は思うんですけども、もっと自由な学びをやるべきで、課外授業をもっと増やしてね、講義室と教室と時間割と、もうそういう密室に閉じ込めてね、静かにとにかく聴いてろと講義をね、とにかくレポート出しやがれというのはもうやめた方がいいと思ってんだけどね。
何考えてんだろうなと思いますけどね。全てオンデマンドオンラインでできるのにも関わらず、しかもAIが出てきちゃってそこで学んだ方が学べるのにも関わらずね、先生一人の話を90分も聴いてろという方がね、地獄のような話で、しかもね、喋っちゃいけない、寝ちゃいけない、食べちゃいけない、飲んじゃいけない、まあよくわかんないですけどね。なんでそんな閉じ込めときたがるのか。しかも一日の大半をだよ、しかも青春時代をだよ、もう馬鹿げてるとしか言いようがないわけですけども、まあそんな仕組みが今後、続くわけがないというね。だから少子化どころの騒ぎじゃ
なくて、そうじゃなくて、そこには学びがないわけだよね。なんで、講義聞かしてそれをどんだけ理解したかをレポート書かせんのかっていうね。しかも90分かける15回もやる必要があんのかと、そもそも。
一冊本読めば終わるだろうみたいなね。あるいはちょっとAIとチャチャっと勉強すればもうその概要で終わっちゃうだろうみたいな話しかやってないわけだよね。たいしてね。しかもそれ残らないわけだしね。
学生は単位欲しいからせっせと授業出るわけだけども、まあ馬鹿げた仕組みがよくもまあここまで続いてるなという、そっちの方が根本問題ですね、もうほんとにね。
だから少子化で学生集まんなくて苦労してるとかいうレベルの話をしてること自体がもう終わってて。なんかぼやきになってきましたね。まあそんな話で、もうとにかく講義室と時間割と教室に縛り付けて学ぶ時代はとうの昔に終わってると。これ根拠があって実は。
教育システムの見直し
まあこれね、ラジオトークでしゃべれるだけしゃべるなのでそんな理屈っぽく喋りませんけども、まあ十分理屈っぽいかもしれませんが。
結局そもそも講義形式はいつ成立したかなんだよね。中世の大学にはなかったんだよね。基本的にね。近代の大学において講義形式ってのは成立したんだよね。理屈っぽいね。
だからスクール形式ね。スクール形式っていうのの成立って、あれは歴史的な産物であってね。今のオンラインオンデマンド、インターネット時代、AI時代にはもう全くなじまない形式なんだよね。
学校システム自体がやっぱり近代とセットで成立してきて、しかもそこでスクール形式ね。監獄だよね、監獄、フーコーが言ったように、学校の誕生、監獄の誕生なんだよね。
これは監視システムなんだよね。管理システムなんだよね。産業社会の要請なんだよね。近代化によるノーマライゼーションのそういう流れの中でああいったものは作られてきたわけで、
もうその時代はとうの昔に終わってるわけだからね。そういう学びはね。
だけど結局なんでそこにみんな行くのかって話は、まあ今日はしないにしても。
なんでこの形式にこだわるかな。もう教員の単なる自己満足以外の何者でもないっていうね。
レポートつけるのは大変だ、あと200人読まなきゃいけないって。やめりゃいいっていうね。もうただそれだけの話だっていう。
なんでいまだにそんなことにこだわってんだろうっていうね。しかも一方的にレクチャーして、学生には黙って聴いてろと言って、
出席しなくてもいいけど、文科省がうるさいから出席取んなきゃいけないとか。
わけのわかんないもう無意味なシステムの中でね、学びもまったくかけらもない中でね
何やってんだろうと思ったりするわけですよ。そんなんじゃなくてもうコロナの時のように、
オンラインオンデマンドで全部そこで全部やればいい。学生は時間割と教室に縛られず、
物理的にも空間的にも時間的にも縛られず学びたいときに学ぶと。一週間の中でどっかで聴いて、
どっかで課題こなせばいいと。自分なりに理解すればいいという。そこで今だったら
AI君に話を聞いたりとかね。音声概要、NotobookLMなんてあれも使えばいいわけね。
日本の大学教員は全部NotobookLMで授業やればいいわけであって、講義室と時間割に
縛る理由は全くないっていうね。もうそんな無駄な時間を青春時代に過ごさせるんだったら、
それを全部オンラインオンデマンド化して、それ以外それで浮いた時間をもっとね、学生と
ディスカッションするとかね。なんでスマホばっかり見てんのとか、なんで何やってんの今、とかね、
色々喋ればいいのね。ところがコミュニケーションしないのね。会話がない。学生は質問に来ない、レポートは書けない。
授業はなんだ、なんか一応出てるという。なんでそんな無駄な時間を過ごすかねぇ
っていうね。そういう大学は消えてなくなるなと。真面目に思ってるんですけどね。
そんな話で、今日のタイトルはなんだったっけ。講義室で学ぶ時代は遠の昔に
終わってるのにまだ続けている謎の話。なんでこれ続くんだろうね。私なりの理論、
理屈も結論もあるんですけど、まあ喋りませんけどね。まあ
本当によくもまあ続けるなと思いますね。まあ小難しい話になりそう
なんでこれぐらいにしておきますけど。まあポイントはいくつかあって、
1つはやっぱりスクール形式、時間割という、あるいは近代学校システムね。
大学はもともとそうじゃなかったのに、近代学校システムになっちゃったわけだよね、ある意味ね。
講義形式の限界
そうじゃなくてゼミ主体の大学っていうのもあったわけだけども、ディスカッション主体のね。
だけどなんだかんだで大量生産でね、それなりに数こなさなきゃいけないから、
講義形式っていうのが、その方が楽だから、
大学側もね。講義やらせときゃね。だから、
ほんとはディスカッションをもっと主体に、もう9割ディスカッション、講義はいらない。
全部オンラインオンデマンド、もうそうしないと意味がない。学習者っていうか、
学びの場にならないよね、全然ね。そんな話で。なんで講義と時間割と教室が好きかな
っていうね、ほんとに。もうそこから見直さないと。それやめれば、
うちは講義ありません、時間割ありません、教室ありません。全部オンラインオンデマンドで、
だけども、いろんな遊び場いっぱいありますって言ってね。教員ともういろんなディスカッションも、たまり場もあります、
自主ゼミもあります、課外活動盛りだくさんです、もうそれしかありませんみたいな。
講義は全部、時間割と教室は廃止しました。全部オンラインオンデマンドでやりますってやったほうが、
絶対いいに決まってるのにね。なんでやらないかな。それやったら学生集まるんですけどね。
少子化で苦労することもないし。そんな話で。とにかく大学の先生、
聴いてるかどうか知らないけれども、聴いてるかどうか知らないけれども、なんでせっかく
コロナという千載一遇のチャンスがあったのにね、そこでオンラインオンデマンドでやったのに、
それで十分できるし、そのほうが教育効果も上がるし、学習者本位の授業ができるし。ただ、
対面がないと寂しいって言うんだったら、講義で対面やることないんだよね。別の対面をもっと増やしてやればいいわけね。
もっといろんなディスカッションできるとかね、そっちを増やせばいいんだけど、
なんで講義に戻すかが全く意味が不明だね。意味不明だね。意味不明。
まあそれはもう、いずれにせよ淘汰されていくんでいいんだけども、結局ここにAIが入ってきちゃったわけね。
ここ1,2年ね。AIが入ってきちゃったことで、もうますますそれは、
いかに講義が無意味か、レポートが無意味かっていうことがもうどんどんどんどん明らかになっていっちゃうわけで。
なのにそれをいつまで続けるんだろうなっていう。それの見直しを始めたなんていう大学はあんまり聞かないしね。
AIとの新しい学び
もう講義レポート廃止、教室時間割廃止ってね、もうやれば、
話は早いんだけどね。なんでやらないかね。本当にもう何考えてんだろうっていう。
また授業の準備しなきゃとかね、早く夏休みにならないかなとかね、
レポート採点地獄だとかね、自分で作ってるっていうね。もう何考えてんだかよくわからない
っていう、何の話かよくわからなくなってきましたね。まあとにかくそんな話で。
だいぶね、もう私もこの騒音に悩まされて、
静かじゃないと勉強できない。勉強できないって何の話だ、勉強はしてないんですけどね。
そんなこんなで、でもあれですね、昨日のやつを聞き直して文字で読み直してたんですけど。
昨日と一昨日のやつ、なかなか面白いですね。その勢いで今この話、このタイトルにしたんですけど。
中身は全然喋ってませんが、まあとにかくやめたほうがいいですよ、講義レポート形式は。
時代の産物だしね。まあむしろAIとのチャットログを提出しろとかね。
授業出なくていいから、もうAIととことんチャットして、この課題を一緒に考えて、
チャットログ全部添付して提出しろってね、いってやったほうがいいんじゃないかと思うんだよね。
そうしたらその学生が、どれだけ問いを立てて、課題解決に向けてAIとちゃんとチャットできてるかどうかが分かるわけでね。
あ、うるさくなってきました。すごいですねこれ、もうどうにもならないですね。
もう平気で工事やってるっていうね。もうちょっと静かにしてくれっていうね。
ということで、のんきに終わりたいと思います。ではまた。
七番桟橋|卅の川のわたし舟
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