鈴木大拙
鈴木大拙
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John Cage and Daisetz Teitaro Suzuki (Japan, 1962)
現代思想の鈴木大拙特集号の表紙がかっこよくて、「これも水戸部功か~」ってなった
今年西田幾多郎と鈴木大拙はともに生誕150年を迎える。しかしいま脚光を浴びつつあるのは大拙のほうだ。西田に関しては多くが語られてきた。それに反して私たちはいまだに大拙が何者か知らずにいる。西田と並び称されることで見えなくなりがちな諸側面が大拙思想にはある。本特集は最新の研究成果を結集し、その知られざる大拙の姿に迫る。 大拙の禅の教えは、「無心」や「融通無碍」といった言葉でケージのなかに埋め込まれ、その後の音楽や人生の指針ともなっていったが、それはただ禅の影響という言葉で表されるものではなかった。大拙は禅の研究家であっただけでなく、禅を世界の宗教や思想と繋ぐ役割をも果たした人である。大拙の著作にはしばしばエマーソン、ソローといったアメリカの超絶主義の作家たちが登場する。青年時代にエマーソンを愛読していたという大拙は、禅と超絶主義に共通するものに注目していた。「エマーソンは禅を説くものなり」と述べ(「エマーソンの禅学論」)、またソローを「東洋風の人」と呼び、森のなかに丸太小屋を建て、自然の音を聞いて暮らした「仙人哲学者」として描いている(「禅と日本人の気質」)。 大拙の禅は、なにより体験を重んじる。ただし単なる体験ではない。「一即多、多即一」であらわされる華厳的な「真如」でなければならない。しかし、この華厳的な体験がアメリカのプラグマティズムの哲学者、ウィリアム・ジェイムズの唱えた「純粋経験」と繋がっていたとしたら、どうだろう。大拙の禅はプラグマティズムの観点から再解釈が可能かもしれない。あるいは、プラグマティズムの観点から禅について理解することもありうる。実際、大拙から多大な影響を受けた作曲家のジョン・ケージは、その延長線上に沈黙を「音楽」として捉える前例のない境地に達した。 キーワード
鈴木大拙
西田幾多郎は米国にいた鈴木大拙を介してプラグマティズムを知る