近代化の過程において、完全に周辺に追いやられた社会制度があります。それが宗教です
さて一方、近代化の過程において、完全に周辺に追いやられた社会制度があります。それが宗教です。宗教にはおよそ二種類あるといってよいかと思います
第一に、──私はイスラム教についてはほとんど無知なので議論からは除外しますが── おそらくキリスト教やユダヤ教といったタイプの宗教があって、これらは特徴として構築的な教義を持っています。ただし、イエス本人は教義的ものを伝えていないようです。彼が明言したと思われるのは「愛」だけです。聖書に書き込まれている教義というのは、直接の弟子たち、そして後世の弟子たちがイエスの言動から解釈したものです。こうした構築的な教義が形成された理由は、イエス亡き後の弟子たちが、ローマ帝国と対抗しうる教会組織を構築する必要に迫られたからです。国家システムの真似をすることで教会システムができてしまった、という皮肉な背景があるわけですね。
次に宗教の第二のタイプとして、仏教的な世界観というものがあります。仏教の教えとは、「非常に複雑な世界を複雑なまますべて受け入れよ」というものであると私は理解しています。これは悟りないしはニルヴァーナといわれるものに相当します。たとえば仏教の教えには、「他者を区別するな」であるとか、「諸物は連動して動いているのだから、それらの影響について考えよ」といったものがあります。私にはよくは分かりませんが、おそらくキリストのいう「愛」も似たようなことではないかと思うんです。もっと分かりやすい言葉でいえば、「他人を思いやる」ということです。
ところが、──これは鈴木健さんもおっしゃっていましたが──他者を含むすべてを認識し理解することは不可能ですから、社会を構成する大きな要素として想像力や共感力が重要になる。これはアダム・スミスの『道徳感情論』や、西垣通さんの『基礎情報学』でも同様に議論されていることです。この論点については、以前Hotwiredで書いたことあります