読者は著者より早いスピードでその本を発見することができない
読書だと誰かが「一ヶ月に何十冊読んでます」とか言っていてもべつに「ハイハイ、凄いね」という感じなんだけど、これがランニングだと誰かが「一ヶ月に何百km走ってます」とか言っているとザワザワした感じに気持ちがなるの、これはどういうことなのか
読書だと何を読むのか、いやそれよりも何を発見したのか、もっというとどういう体験をしたのか、の方が重要なのがよくわかっているのに、これがぽっと始めたばかりのランニングだとそういう体験よりも目に見えてわかりやすい数字の方に気持ちが持って行かれるのは、まだそういう経験が不足しているからか
つまり芯が通っていないということか
読書でも読もうと思っていたような本をことごとく先に読んでいる人を見かけたりすると、ちょっと心がザワザワすることがある
まあ自分自身であっても、ある本を読んでも、全然気がついていなかった、なんてことはよくあるので先にだれかが読んでいたところでそれがどうってことないわけだが
だれかが先にその本を読んでいることにちょっと心がザワザワすることの本質は「征服アルピニズム」と同じかもしれない スピードだけでいうと、読者は著者より早いスピードでその本を発見することができない