言語が持っていた意味を徹底的に破壊する
言語が持っていた意味を徹底的に破壊することってオーウェル「1984」のオセアニア政治そのもの
品川駅とか自民党とか総選挙とかについては、ここでは射程外とする
言語の意味の倒錯というのは常時行われていて、
誰でも、いつでもそういうことをやっている、という話
われわれ自身も、誰も、彼も
過去でも、現在でも、未来でも
理念なき者は、前例を否定することで自己を主張する」みたいな
いつの時代も文化は「モダン」に対する「ポストモダン」として立ち上がる 理念を骨抜きにして、形だけ(型だけ)をそのまま維持する」みたいな
ファシズムやナチズムのアレが、選挙にもとづく民主主義の元で発現した理由みたいな
ある条件下でそれが人々の心に入り込む
それは、確率の問題
入りやすい人もいる、入りにくい人もいる
外的条件により閾値が下がる → 革命
ある条件下とは
人々が絶望しているとき
なににおいて絶望しているのか
第一次世界大戦後の世界でそれは、
「旧秩序の崩壊と新秩序の欠落による混沌が生む、純なる絶望」
大恐慌、世界大戦
ブルジョワ資本主義への不信、マルクス社会主義への失望、キリスト教の無力
人々の絶望につけ込むために、ファシズム全体主義が破壊したのは、ヨーロッパの歴史を貫く規範
「自由と平等」
批評的な精神が必要な理由は、こういうところにあるんだろうな
第1章 反ファシズム陣営の幻想
旧秩序は崩壊したが新秩序は生まれていない。その結果は混沌である。絶望した大衆は不可能を可能とする魔術師にすがる。
大衆の絶望こそファシズム全体主義を理解するうえでの鍵である。暴徒の騒動でもプロパガンダの仕業でもなく、旧秩序の崩壊と新秩序の欠落による純なる絶望がその鍵である。
第3章 魔物たちの再来
絶望の深みにある大衆にとって、理性は信じられず、真理は虚偽に違いなく、虚言こそ真理に違いない。
理性は信じられず、真理は虚偽に違いなく、虚言こそ真理に違いない。「安いパンの値段」「高いパンの値段」「変わることのないパンの値段」のいずれも実現はしなかった。唯一残された希望は、これらのいずれでもないパンの値段、誰も知らないパンの値段、合理に反するパンの値段である。
第4章 キリスト教の失敗
キリスト教は、ファシズム全体主義の世界においても、言葉や概念が自分たちのものと同じ意味をもつと思い込んでいる。しかしそれらのものは、実際にはまったく異なる意味と実体をもつにいたっている。
「権威」という言葉の意味を倒錯させた
例えば、「権威」とは、ファシズム全体主義においては完全な恣意を意味する。キリスト教においては、逆を意味する。支配される者の利益のための力の抑制、従う者から正当化される力を意味する。
ヒトラーとムッソリーニが権威の再建に着手したとき、その意図は、あらゆる種類の自由と自主を粉砕し、力が正義であることを証明することにあった。しかし、権威とは、常に正義による力の制御を意味してきた。
あらゆる種類の自由と自主を粉砕し、力が正義であることを証明する
『1984年』(1984ねん、原題: Nineteen Eighty-Four)または『1984』は、1949年に刊行したイギリスの作家ジョージ・オーウェルのディストピアSF小説。全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いている。欧米での評価が高く、思想・文学・音楽など様々な分野に今なお多大な影響を与えている近代文学傑作品の一つである。 出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じくオーウェルが著した『動物農場』やケストラーの『真昼の暗黒』などとともに反全体主義、反集産主義のバイブルとなった。政府による監視や検閲や権威主義を批判する西側諸国の反体制派は、好んで本作を引用している。 反全体主義
反集産主義
オーウェルは1944年には本作のテーマ部分を固めており、結核に苦しみながら1947年から1948年にかけて転地療養先の父祖の地スコットランドのジュラ島でほとんどを執筆した。病状の悪化により1947年暮れから9か月間治療に専念することになり、執筆は中断された。1948年12月4日、オーウェルはようやく『1984年』の最終稿をセッカー・アンド・ウォーバーグ社(Secker and Warburg)へ送り、同社から1949年6月8日に『1984年』が出版された
第二次世界大戦中(1939-1945)に構想された
執筆されたのは戦後 1947-1948
出版されたのが 1949/6/8
オーウェルは1946年のエッセイ『なぜ書くか(Why I Write)』では、1936年以来書いてきた作品のすべてにおいて、全体主義に反対しつつ民主社会主義を擁護してきたと述べている 全体主義に反対
民主社会主義を擁護
民主社会主義 = 社会主義インターナショナル
わたしの最新の小説は、社会主義やイギリス労働党(私はその支持者です)を攻撃することを意図したのでは決してありません。しかし共産主義やファシズムですでに部分的に実現した(…)倒錯を暴露することを意図したものです(…)。小説の舞台はイギリスに置かれていますが、これは英語を話す民族が生来的に他より優れているわけではないこと、全体主義はもし戦わなければどこにおいても勝利しうることを強調するためです
共産主義やファシズムですでに部分的に実現した倒錯を暴露する
スペインでは王政が倒れ、内戦が起きていた。彼は1936年に「新聞記事を書くつもり」でスペインを訪れたがバルセロナでの「圧倒的な革命的な状況」に感動して、1937年1月、フランコのファシズム軍に対抗する一兵士としてトロツキズムの流れをくむマルクス主義統一労働者党(POUM)アラゴン戦線分遣隊に参加し、伍長として戦線へ赴いた。そこでオーウェルは、人民戦線の兵士たちの勇敢さに感銘を受ける。また、ソ連からの援助を受けた共産党軍のスターリニストの欺瞞に義憤を抱いた。
スペイン内戦で人民戦線に加わる
マルクス社会主義
1938年4月、スペイン内戦体験を描いた『カタロニア讃歌』を刊行する。彼の存命中には初版1500部のうち900部が売れたという。