続インターネット創世記
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言ってみれば、ここで書いたのは、インターネット創世記の書きかけ、出来損ない、残骸だった
インターネットとその外側を接続させる話だった
ここで書いたインターネットの話は次の3つ
1975 UNIX 6th Edition
1985 Usenet と Junet
1989 TCP/IP と 太平洋横断ケーブル TPC-3
Unix の話
「はじめに Unix ありき」
UUCP の話
「三身の綱打ち掛けて引き縫い付けたネットワークは、北は北海道、南は九州まで」
TCP/IP の話
「我々のネットワークを繋げよう。イーサネットが地を覆い尽くすほどの。あらゆる地に散って消え去ることのないように」
The Internet の話
「あなたはつえを上げ手を海の上にさし伸べてそれを分け、インターネットを海の中の深い底を行かせなさい」
「破棄する計画を立てる。いずれにせよ、そうすることになる」
そのあとに登場する Linux の文化
第3の潮流
And there was yet a third current flowing. The first personal computer had been marketed in 1975; Apple was founded in 1977, and advances came with almost unbelievable rapidity in the years that followed. The potential of microcomputers was clear, and attracted yet another generation of bright young hackers. Their language was BASIC, so primitive that PDP-10 partisans and Unix aficionados both considered it beneath contempt.
そして、さらに第3の潮流が流れていた。1975年に最初のパソコンが発売され、1977年にはアップル社が設立され、その後、信じられないような速さで進化を遂げていった。マイクロコンピュータの可能性は明らかであり、また新たな世代の優秀な若いハッカーたちを惹きつけた。BASICは、PDP-10の信奉者もUnixの愛好家も軽蔑するほど原始的な言語であった。
Linux evolved in a completely different way. From nearly the beginning, it was rather casually hacked on by huge numbers of volunteers coordinating only through the Internet. Quality was maintained not by rigid standards or autocracy but by the naively simple strategy of releasing every week and getting feedback from hundreds of users within days, creating a sort of rapid Darwinian selection on the mutations introduced by developers. To the amazement of almost everyone, this worked quite well.
Linuxは全く違う形で進化してきた。ほぼ最初から、インターネットを通じてのみ調整された膨大な数のボランティアによって、むしろ気軽にハックされていたのです。品質を維持するのは、厳格な基準や独裁主義ではなく、毎週リリースし、数日のうちに何百人ものユーザからフィードバックを得るという、素朴で単純な戦略によって、開発者によってもたらされた突然変異を、ある種の急速なダーウィン的淘汰を生み出すことだった。ほとんどすべての人が驚いたことに、これは非常にうまくいったのです。
マイクロコンピュータもオープンソースも本流ではなくて周縁、辺境の文化だった
「インターネットは数であり、数は力、力は金だ」
自然淘汰、自然選択、ダーウィニズム