日記の効能と弊害
「今週末の良かったこと」、とても良くて、毎日だと本当に自分が関心のあることとかって、無自覚なのでわからないんだけど、週末(というか一週間)というスパンだと、これが適切に効いてくるような気がする 忘却って大事で、日々の生活のスパンだと、本質ではないところのほうが印象に残っていたりする
ところが、一週間とかそういうスパンだと、そういう些細な、でもそのときには大事だと思っていたようなことはだいたい忘れてしまう
この些細なことを文字に残すことは、その些細なことを、頭の中で何回も再生産することになるので、それは健康に悪い
毎日、日記をきちんととることの弊害っていうのはあると思う
書いたら、それで忘れてしまう、というような、そういうやり方が出来る人は毎日記録すればイイと思う
日記を書くのは別にぶっ壊れた女だけの特権ではないと思わないか? 誰もが2017年に手にした特別な炎があり、それぞれが2017年に特別な炎を灯したのだ。2017年を過ぎると二度と手にすることのできない特別な炎だ。絶対に記録に残すべきだ。 2017 - バス停 ここでいう「ぶっ壊れた女」というフレーズは、平安朝の女流日記作家らを指す、のだろうか?
いつか bastei の人に聞きたい