数はかつて公共性を意味していた
数はかつて公共性を意味していた
冗談に対して笑わない人達があらわれたとき、そのユーモアは消えていく
数はかつては公共性を意味していた。1000人に届く言葉よりも100万人に届く言葉のほうが公共的だと考えられていた。そのような前提が機能したのは、どの言葉をどれほどの数に届けるのか、出版や放送の側であるていどの選別が可能だったからである。ひとことでいえば、当時は100万人に届けるべき言葉だけを100万人に届けていた。少なくとも、原則はそうだった。だからこそ、出版や放送に携わる人間には特別の見識と倫理が求められていたのである。
けれども、インターネットの出現でその環境はまったく変わってしまった。いまでは言葉はどこでも選別されていない。だれでも世界中に言葉を発信できる。
その新たな環境においては、1000人に届く言葉はたんにその言葉が1000人にしか届かなかったことを意味するだけであり、100万人に届く言葉はたんにその言葉が100万人まで届いてしまったことを意味するだけである。結果の数は人々の欲望の反映にすぎないから、公共的であるがゆえに多数に届いた言葉もあるだろうが、そうでないものも同じくらいに多い。