南方曼荼羅
南方曼荼羅
南方熊楠
1903年7月18日付けの土宜法竜宛書簡に見られる図。この時期の熊楠は、和歌山県那智村(現那智勝浦町)市野々(いちのの)の大阪屋に籠って読書と植物採集、論文執筆に没頭していた。その那智山中から、熊楠はたびたび「小生の曼陀羅」と称する、科学と大乗仏教を接合する世界認識の方法を、土宜に向けた書簡において論じた。この図は、そうした試みの一つとして熊楠が描いたもので、中村元が「南方マンダラ」と呼び、鶴見和子が熊楠思想の根源をなすモデルとして紹介したために広く知られるようになったものである。
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一つは、1903年7月18日付書簡の中に描かれており、真言密教のマンダラの思想をヒントにして、それを自身の思想に読みかえて絵図を交えて説明したものである。熊楠はこの図について、「この世間宇宙は、天は理なりといえるごとく(理はすじみち)、図のごとく(図は平面にしか画きえず。実は長、幅の外に、厚さもある立体のものと見よ)、前後左右上下、いずれの方よりも事理が透徹して、この宇宙を成す。その数無尽なり。故にどこ一つとりでも、それを敷衍追及するときは、いかなることをもなしうるようになっておる」と解説している。
もう一つは、1903年8月8日付書簡の中に描かれており、熊楠が「小生の曼陀羅」と呼んだ、真言密教でいわれる両界(金剛界・胎蔵界)マンダラの発想をもとに描かれた絵図である。熊楠は、この両界マンダラを記し、金剛界大日如来の心より物が生じ、その心と物がお互いに反応し合うことで、さらに事が発生し、さらにはそれが名・印といったかたちに生成していく複雑な現象を説明している。
この中の「物−事−心」の三項が、パースの「対象−記号−解釈項」に対応しているというのが、私の解釈である。以前に、パースの三項図式を図示したことがあるが、物が対象(object)であるとして、事が記号(sign)であり、心の中で考えることが解釈内容や意味(interpretant)に対応している。interpretant はまた記号になるから、その記号の連鎖が、心のなかであれこれ考えていることの実質的内容となる。 https://gyazo.com/76ac1e5c23909034520244783944b5e8