予祝
予祝
予祝
あらかじめ祝うこと。前祝い。
前祝い
よい結果になることを確信して、あるいは良い結果になることを祈念して、結果が出る前に行われる祝いの宴。
予祝儀礼・予祝芸能
予祝芸能(よしゅくげいのう)とは、伝統芸能を信仰の面からとらえたときの、萬歳や春駒など新春をことほぐ芸能や、農作業のあらましをあらかじめ一通り演じて順調に稲が実るように祈願する田遊び・御田などを指す。
あらかじめ祝福することで、そのことの実現を祈るもので、その背景には言霊の信仰・思考法がある。獅子舞や風流踊りにおける「屋敷ぼめ」の歌などにも、同様の性格がみてとれる。予祝芸能に対し、災害を取り除く意味合いの強いものを除災芸能と呼ぶことがある。
一方、遠隔地への航海の予祝儀礼の参加者は、陸の「公的支配が及ぶ公界」の共同体から身内とはみなされない流れ者たちである。そして嵐や海賊など海難に遭遇するし、遭遇しなくても「公的支配が及ばない無主の領域」では交易は容易に戦争になった。こうした突発事象を前提に彼らは文字通りの同じ船に命をたくす運命共同体であり「仲間」であり新たな身内を形成した。 航海船の船員という身内と、農耕で協力する村人という身内では全く質が異なるのは、古今東西同じだ。
命がけの運命共同体に、足手まといになる余計者の参入は許されない。官制の遣唐使船や軍艦や近代商船などを除けば、古来、頭領やキャプテンが管理する、年功序列ではない完全な実力主義の体制だった。
ヨーロッパの海賊の場合、給料は船員と認められたらたとえ子供でも平等で、キャプテンだけが一般船乗りの2倍という話がある。また、奴隷以外の船員は個人の意志と能力で船に乗り、また船を降りる事も許された。
予祝する未来に目を向ければ、四季に応じた繰り返しをする農耕民で確定性が高く、状況に応じて生業が変り、場合によっては何が起こるか分からない海民で不確定だ。遠隔地交易は容易に戦闘になり、航海船は容易に海賊船に変身した。 命がけで敵を迎え撃って守るにしろこちらから攻めるにしろ、それに先駆けて運命共同体の船員たちがした予祝儀礼が、定住農耕の村人が外部の被差別民を動員してするそれとでは、まったく違ったテーマと展開になった筈だ。 チャントと予祝
一方、スタジアムでの予祝儀礼の参加者は、社会の共同体から身内とはみなされない流れ者たちである。そして連敗や降格などの苦難に遭遇するし、遭遇しなくても対戦相手との試合は容易に戦争になった。こうした突発事象を前提に彼らは例えるなら同じ船に命をたくす運命共同体であり「仲間」であり新たな身内を形成した。