万国博と現代音楽
万国博と現代音楽
1889 年のパリ万博はヨーロッパ音楽の1 つの変革点となった出来事であると評価されることがあります.この万国博覧会ではエッフェル塔が建設されていますが,エジソンの蓄音機や音楽の有線通信による配信など,後に音楽文化に決定的な影響を与えることになる技術革新のデモンストレーションの他,ヨーロッパ以外の文化圏の音楽の(ライヴ)演奏が沢山あり,フランスの音楽家たちは,初めて非ヨーロッパの芸術音楽に触れて非常なショックを受けたのでした. その中には,当時まだ27 歳で,作曲家としての活躍の入口にいたクロード・ドビュッシー(1862~1918)がいました.特に,ドビュッシーはここで実演されたバリ島のガムラン音楽に啓発を受けています.ドビュッシーは1900 年のパリ万博でもガムラン音楽やベトナムの音楽などを熱心に聞いていて,後年の音楽評論なとで,それらの体験を何度も語っています.後年のドビュッシーは,本講義での意味の「現代音楽」の始まりの1 つとなる音楽語法を確立していますが,その作品には東洋の音楽の多層的な影響が指摘できます. 永井荷風や,島崎藤村など,20 世紀の初頭にパリに滞在した日本の文化人の中には,ドビュッシー自身の演奏する音楽会を訪れている人たちがいました.彼等のヨーロッパ滞在記やエッセーなどを見ると,これらの人々は,ドビュッシーの音楽の中に,だだちに東洋的な資質を見出していることが分ります. ドビュッシーの音楽やその美学は後の現代音楽作曲家たちに大きな影響を与えたので,彼がパリの万国博覧会で東洋音楽を聞いていなかったとしたら,例えば,バルトーク・ベーラ(1881~1945) の東欧音楽との取組みや,オリヴィエ・メシアン(1908~1992) のインドのリズムや鳥の歌の利用,スティーブ・ライヒ(1936~) やジェルジ・リゲティ(1928~) のアフリカ音楽からの触発など,ドビュッシーの後の時代の作曲家の試みた,従来の西洋音楽の語法の外側にある音楽美学や音楽素材への取組みは随分と違ったものになっていただろうと想像されます. 武満徹(1930~1996) はドビュッシーから最も影響を受けた現代音楽作曲家の一人と目されていますが,ドビュッシーの東洋音楽との対峙から生れた音楽の影響の残映は本講義の講師である小櫻秀樹氏の作品にも認められるように思います.