ルイス・ネイミア
ルイス・ネイミア
『神と自然と憲法と』第18章で紹介したように、ジョン・メイナード・ケインズは、世界を支配するのは思想であるとし、それに比べて既得権益の影響は誇張されているとする これと対蹠的な観点に立つのが、歴史家のルイス・ネイミアである。ネイミアによると、思想や原理と言われるものはすべて、人間の真の動機を覆い隠すためのイデオロギーにすぎない。歴史を動かすものは、別にある。 選挙を焦点とする議会史研究の時代、多様な人物史の分析に信を置く時代が、こうして幕を開けた。数を増す研究者たちによって、下院議員たちの個人生活・家族生活の秘密が明らかにされ、議会の役割は社会構造に支えられていると結論付けられた。
議会政治は、立憲主義とも、自由とも、さらには(少なくとも18世紀末までは)政党とも無関係で、すべては個人的な立身出世と栄達のためであったと考えられるようになった。
ネイミアは特に18世紀後半のイギリス議会政治について多くの研究を残している。ネイミア以前は、ホイッグやトーリは近代的な政党と考えられてきた。ネイミアは下院議員ひとりひとりの行動・人間関係・発言などの検討を膨大に積み上げ、その研究によって現代的な政策集団としての政党ではなく、人間関係の結びつきなどが絡み合ったものにすぎないことが明らかにされた。
ネイミアの研究は徹底した実証研究に基づき、歴史の物語化に異議をとなえる。
ルーイス・ネイミア(Lewis Namier)の「大きな輪郭、意味ある細部」という主張と重ねて考えてみる
ネイミアといえば、十八世紀イギリスの政治構造を徹底的史料実証主義とシニカルなまなざしで分析し、議会政治の安定、イギリス社会の均衡を強調した保守的で、また面白くない史家として受けとめられているのではないだろうか。ポーランドのユダヤ人地主の家に生まれ、十九世紀末から二十世紀半ばの歴史的運命(祖国喪失、戦争、シオニズム)に翻弄され、とりわけ前半生は何度も挫折と不達成感に見舞われたネイミアにとっては、歴史における英雄はなきがごとく、思想信条は美辞麗句にすぎない。人々の実際の行状、人脈、金脈を冷静に見つめなければ、本当の所は分からない。そうした考えのもとに後半生のネイミアが従事したのは、国会(庶民院)議員全員と選挙区すべてについての、ほとんど百科事典的な史料研究である。今では History of Parliament財団の継承するところとなったこの研究の進行中に、ネイミアは次のようなことを『歴史の並木道』(一九五二)と題する随筆集で述べている。