ポリフォニーとシンフォニー
ポリフォニーとシンフォニー
対話の目的は解決ではなく、対話が続くようにすることですから。 対話はシンフォニーでなくていいんです。調和ではなく、お互いの違いを掘り下げることが大切です。 ミハイル・バフチンはドストエフスキーの小説の画期性を、その登場人物があたかも独立した人格のように多面性を持ち、解釈の主体として振舞い、時には、独自の思想の主張者として振舞うことで、人物相互の間に「対話」が成立し、そのような対等かつ劇的な対話性において、小説以外のジャンルでは表現困難な、現実の多次元的・多視点的な表現が可能になっていることであるとした。 このような視点は、バフチン自身の、哲学的・言語学的な対話主義の思想に裏打ちされている。バフチンは、真理は、特定の視点によっては表現することはできず、どれほど複雑かつ高度なものであっても、つねに複数の認識の視点と、ひとつの視点との相違は還元不可能なままに残ると考えた。この相違を還元不可能なものと見る視点からは、複数の限定的な視点を、より高次の複雑かつ総合的なひとつの視点によって完全に汲みつくし、代替することはできないことになる。