プレイヤー・ピアノの作曲技法への影響
芳澤奏
自動演奏ピアノの作曲技法への影響
ーナンカロウを中心にー
東京藝術大学 大学院 修士論文 2019年
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本論文では自動演奏ピアノが作曲技法に与えた影響を考察する。それにあたり独自の技法を用い自動演奏ピアノのための作品を50曲以上残したコンロン・ナンカロウを中心に、自動演奏ピアノにおいて生み出された創作技法を探る。そしてナンカロウの影響を受けて作曲されたジョルジュ・リゲティ作曲の《ピアノ練習曲》を分析し、自動演奏ピアノの作曲技法への影響を検証する。 第1章では、自動演奏ピアノについて述べる。20世紀初頭にアメリカやヨーロッパを中心に爆発的な人気を見せた自動演奏ピアノは1920年代には様々な理由から急速に衰退している。演奏の再現性が非常に高まってきた自動演奏ピアノの構造と、その歴史的背景、20世紀初頭の社会における自動演奏ピアノの役割を検証する。
自動ピアノの発明と、1920年代のレコードの歴史
1920年代、録音音楽の始まりが世界を変えた
インターメディアテク・レコード・コレクション(10) ピアノ・ロールとレコード
録音が普及する以前に、音楽とりわけピアノ・ソロの伝播方法として、楽譜以外に「ピアノ・ロール」というものがあった。メロディーが穿孔された巻き紙を自動ピアノに差し込むと、オルゴールの原理に従ってその穿孔をもとにピアノは曲を再生した。それがのちにSP盤に収録され、発売されることもあった。また、ミスを起こしかねない演奏家の吹き込みに対し、音の羅列を完全に再生する物理的な原理を重要視し、この機械的発展に音楽の未来を見出した人は当時少なくなかった。実際にピアノ・ロールを聴けばその見解の稚拙さに誰もが気づくが、ピアノ・ロールは再生音楽を離散的な情報に分解するうえで実に重要な第一歩だった。
五つの発明には、記譜法、オペラ、平均律、ピアノ、録音技術を上げている。
自動ピアノはこの五つの発明の、ピアノ、録音技術、の両方に接している
平均律とピアノの話は一体で、科学と工学の関係みたいになっている。平均律の理想を実現するためには旋盤の発明を待つ必要があった。
宗教、政治、美術、科学、工学、経済は渾然一体となっていると思う。音楽を通して世界を知ろうとすることは、そんなに見当違いではないかもしれない。
第2章では20世紀に活躍したストラヴィンスキーとアンタイルの自動演奏ピアノの作品の考察、そしてドナウェッシンゲンにおいてはヒンデミットやトッホを中心とした作曲家たちが模索した機械音楽の可能性を検証する。この時代に初めて自動演奏ピアノという楽器のために作曲するという革新的な思想が生まれており、機械と音楽の関わり方において重要な提言だったと考えることができる。
『ピアノラのための練習曲』(ピアノラのためのれんしゅうきょく、仏: Étude pour pianola)は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが1917年に作曲した、ピアノラ(自動ピアノ)のための楽曲。
本名ゲオルク・カール・ヨーハン・アンタイル(Georg Carl Johann Antheil)。ニュージャージー州出身。当初はもっぱらヨーロッパにおいて演奏会ピアニストとして経歴を打ち立て、1920年代には、友人エズラ・パウンドの愛人オルガ・ラッジとしばしば演奏旅行を行なったが、やがてストラヴィンスキーに強く影響された前衛音楽の旗手として知られるようになった。最も名高い作品は、1926年の「バレエ・メカニック」であるが、これは演奏会用に企図された作品であって、曲名に反して、舞踏音楽としては作曲されてはいない。この曲において踊り子を演ずるのは機械であり、電子ブザーや航空機のプロペラといった部品が含まれていた。この作品は初演において、騒動と評論家の非難を巻き起こしたが、一部からは評価された。
ジョージ・アンタイルはアメリカの未来派作曲家。高名な割には、あまり音のイメージが湧かない作曲家なので、ピアノ曲をこれだけまとめたアルバムは大歓迎と申せましょう。コープランドと同年生まれで、ガーシュウィンより2歳、ヘンリー・カウエルより3歳年少ですが、いずれとも作風は異なり、意外にも近代ロシアのピアノ音楽を思い起させます。名前を伏せて聴けば、ストラヴィンスキーかショスタコーヴィチの未知の作品かと見紛う個性的な面白さに満ちています。 アンタイルは多才で興味深い人物だったようで、音楽家のみならず、エズラ・パウンド、ジョイス、イェーツら文学者やピカソと親しく、また発明の才にも恵まれ、今日の無線LANや携帯電話の原理となるものも、彼が絡んでいると言われています。そうした才気が彼の音楽にも充溢しています。
ジャズ・ソナタはわずか1分49秒の作品で、「自動ピアノのように弾け」という指示があります。また『飛行機ソナタ』では最尖鋭の文明機器を、『野蛮なソナタ』では原始主義を見事に昇華、芸術作品に仕立てています。ピアノの打楽器的な用法、敏捷な指の動きは痛快でストレス解消にもオススメです。
演奏者ギー・リビングストンはパリ在住のアメリカ人奇人ピアニスト。アンタイル研究家としても知られ、これ以上ない説得力を示しています。(キングインターナショナル)
Hedy (Lamarr) Markey 氏と George Antheil氏は、 自分たちの特許の用途について以下のように説明している。
「この発明は、異なる周波数の搬送波の状態に関する暗号化通信システムに関連していて、例えば魚雷のような操縦可能な移動体の遠隔制御に特に役立つ。 手短に言えば、遠隔制御する移動体の無線制御用に採用された我々のシステムは、同期した一対の記録の1つを送信機に、もう1つを受信機に使って、送受信機の同調を時間ごとに変える…。自動演奏ピアノで長年使われている形式の記録を採用しようと考えていて、それは記録に従った複数の穿孔が、さまざまな位置に縦に並んだ、長いロール紙から成り立っている。従来の自動演奏ピアノの記録紙では、穿孔が88個の物が多い。我々のシステムでは、ある所から他の所の送信局と受信局の両方が時間間隔を設けて、このような記録によって周波数が異なる88個の搬送波を使用することが可能になる。」
ドナウエッシンゲン
ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州「黒い森(シュヴァルツヴァルト)」にあるドナウエッシンゲン
音楽にかかわりの深い町であり、かつてはモーツァルトやリストがフュルステンベルク公の城へ訪れ、音楽会を催した
ヒンデミット、トッホ
しかしながらこの時代の自動演奏楽器はただ単に,人間の演奏する「生」の音楽を,人間の手を借りることなく模倣したり再生したりすることができる装置であったわけではなく,人間が演奏するこれまでの音楽にはできなかった新しい表現世界を可能にするメディアでもあった。
自動演奏楽器のもつ,機械ならではの新しい表現の可能性に着目したのは作曲家たちであった。パウル・ヒンデミット(1895-1963),エルンスト・トッホ(1887-1964),ゲルハルト・ミュンヒ(1907-?)の3人は,ドイツのフライブルクに本社をもつウェルテ社と共同して,ウェルテ・ミニョンという同社のリプロデューシング・ピアノのロールに,実演を記録するのではなく,作曲家自らが直接に穿孔作業を行って「作曲」をする実験を行い,その成果は1926年7月25日に行われた「ドナウエッシンゲン室内音楽演奏会」シリーズ最終日の「機械ピアノ(ウェルテ・ミニョン)のためのオリジナル作品の演奏会」において発表された。 ヒンデミットはまた,レコード盤に自らの手で刻みを入れ,やはり演奏家を介することなく音響化する試みを行ったりもしている。
それまでの音楽で不可欠であった演奏家という媒介を排する,このような試みによって,人間の肉体的な限界をこえる表現,たとえば指がとても回らないような速いパッセージや,指の数や手の大きさの制約をこえた多彩な表現が可能になったことはもちろんだが,ヒンデミットらが自動演奏にこれほど大きな期待を示した背景には,生み出される音のそのような具体的なおもしろさをこえた音楽観自体のレベルでの問題が関わっていた。
ヒンデミットやトッホは自作への解説をいろいろ書き残しているが,そこでは,人間が演奏することによって不可避的に音にまとわされてしまう夾雑物を排除できるメリットが繰り返し語られている。それは演奏家の主観が分厚くまとわりついていた,ロマン主義的な音楽表現のあり方への反動とみることもできるし,そのような中でしばしば背景に退いていた作曲家自身の意図を,演奏家を介さずに直接に伝えようとする意志のあらわれとみることも
『ルードゥス・トナリス』(羅: Ludus Tonalis、「音の遊び」の意)は、パウル・ヒンデミットがアメリカに滞在中の1942年8月から10月にかけて作曲したピアノ曲である。副題は『対位法・調性およびピアノ奏法の練習(Kontrapunktische, tonale, und Klaviertechnische Übungen)』となっており、初演はピアニストのウィラード・マクレガー(英語版)によって1944年2月15日にシカゴで初演された。この楽曲は「技術、理論、インスピレーション、およびコミュニケーションの事柄」を探っており、「事実上、作曲者の円熟したスタイルの正真正銘のカタログである」
1904年、ドイツのエドウィン・ウェルテと義兄のカール・ボキッシュによりリプロデューサー(再生装置)と称されるピアノの自動演奏を制御する装置が発明された。ピアニストの演奏をそのままーペダリング、アクセント、クレッシンド、ディミヌエンド等ー再現することが可能となった。ウェルテの再生方法はウェルテ・ミニヨン(方式)といわれ、この方式の特許を得て、ヨーロッパではスタインウェイ、フォイリッヒ、イバッハなどの著名なピアノ・メーカーがリプロデューシング・ピアノを発表した。その後数社がそれぞれ独自の方法で再生装置を開発していった。このリプロデューサーはウェルテ社のグランド・ピアノに組み込まれたもの。音楽信号はロール・ペーパーに穿孔され、ピアノに組み込まれたトラッカー・バーの上をロールが通過すると、穿孔された部分に空気が通り信号を読み取る。トラッカー・バーにはピアノの鍵盤に対応する88の穴と、演奏の忠実度を高めるための、ペダリング制御、キイ・タッチ制御の穴が開けられ、それぞれの穴で読みとられた信号が、空気の量をコントロールしてピアニストの微妙なキイタッチまでを再現して演奏することが可能。 代表的な再生ピアノには、発明の年代順に、ウェルテ・ミニョン(ドイツ、フライブルク,1904)、アンピコ(アメリカンピアノ社1913)、デュオ・アート(アメリカ、エオリアン社、1914)の3つが挙げられる。 アンピコ
デュオ・アート
ウェルテ・ミニョンはヨーロッパ、北米、南米、ロシアでも売れ、ウェルテ社はピアニストたちの録音を集めるために1910年にサンクトぺテルブルグ、1913年にパリに録音機器を持って出張している。再生ピアノは非常に高価であったため、自動ピアノは普通のピアノよりも売れなかったのだが、録音装置としてピアニストたちの評価を集めて隆盛した。 再生ピアノに演奏録音を残しているクラシック音楽のピアニストや作曲家には、ストラヴィンスキイ、グリーグ、ドビュッシー、バックハウス、パデレフスキ、プロコフィエフ、ホロヴィッツ、ラヴェル、ラフマニノフ、リヒャルト・シュトラウスらがいる。
第3章ではコンロン・ナンカロウの作品について考察する。ナンカロウの自動演奏ピアノのための作品を分析する。ナンカロウの創作技法は他にない独特のものだった。徹底したカノンの技法やポリテンポの技法を始め、彼にとっては自身で行うピアノロールへの穿孔も創作において大事な過程であった。人間を排除し、極度に個人的に行われたナンカロウの創作によって、今までのピアノにはなかった新しい可能性が提示されている。
「メキシコには素材の細分化に向かった作曲家が3人いる。音律の細分化を図ったフリアン・カリリョとリズムの細分化を図ったコンロン・ナンカロウと変遷の細分化を図ったフリオ・エストラダだ」とManuel Antonio Dominguez Salasによって定義された
初期には『ソナチネ』などの器楽作品も見られるが、自動ピアノの可能性に目覚めてからはこの楽器を用いてリズムへの探求を行い、それは「自動ピアノの為の習作」という50曲を超える作品群へ結実した。これは、人間では演奏不可能な複雑なリズム構造を実現させるために自動ピアノを用いたものである。ヤングの『ウェル・チューンド・ピアノ』、ギュナー・ヨハンセンの『即興ソナタ』と並んで、改造ピアノの為に書かれた重要な作品群であり、現在もこの作品から影響を受ける
フリアン・カリリョ
メキシコ出身の作曲家ジュリアン・カリリョ[カリーリョ][フリアン・カリージョ] Julián Carrillo(1875-1965)は、1910年以降に自国の民俗音楽への関心から微分音による創作を開始し、“Thirteenth Sound (Sonido 13)” と名付けた音律システムを追究した。また4分音ギター、8分音ピッコロ、16分音ホルン、16分音ハープなどの特殊な楽器の製作にも携わった。
フリオ・エストラダ
ラ・モンテ・ヤング
傑作として知られる、本人の第7倍音へのこだわりによる純正律で調律された独奏ピアノのための作品、「よく調律されたピアノ(Well-tuned Piano)」は、作者本人の演奏に従うと6時間を超える長さにまでなる。厳格に構成されたインプロヴィゼーションの例であり、数学的作曲法とヒンドゥー古典音楽の演奏に強く影響されている。これはアメリカにおけるミニマル音楽の中で特に優れたものの一つである
Well-tuned Piano
ヤングは、即興音楽のジャンルを越えて幅広い層へ大きな影響を与えた。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドにおけるジョン・ケイルの貢献に始まり、彼自身のフォロワーであるトニー・コンラッド、ジョン・ハッセル、リース・チャタム、マイケル・ハリソン、ヘンリー・フリント、キャサリン・クリスター・へニックス、ヨシ・ワダといった人々に及ぶ。ランディ・ノードショウ (Randy Nordschow)のエレクトリック・ボウとピアノと二人の奏者のための作品では、エレクトリック・ボウの使用によりピアノの持続音を無限に引き伸ばすことができるが、これもヤングの影響抜きには語れないであろう。
グンナー・ヨハンソン
Un tournant dans sa carrière est venu en 1953 quand il a lu dans Les Carnets de Léonard de Vinci : « La musique a deux maux, l'un mortel, l'autre gaspillage. Le mortel est toujours allié à l'instant qui suit l'énonciation de la musique, le gaspillage réside dans sa répétition, ce qui semble méprisable et mesquin. » Avec cette déclaration à l'esprit, Johansen a enregistré sa première Improvised Sonata. Ce projet s'est poursuivi jusqu'en 1990, avec l'achèvement de 550 de ces œuvres.
彼のキャリアのターニングポイントは、1953年にレオナルドダヴィンチのノートブックで次のように読んだときでした。「音楽には2つの悪があり、1つは致命的で、もう1つは無駄です。 死すべき者は常に音楽の発声に続く瞬間に同盟を結び、無駄はその繰り返しにあり、それは軽蔑的でささいなようです。 その声明を念頭に置いて、ヨハンセンは彼の最初の即興ソナタを録音しました。 このプロジェクトは1990年まで続き、550件の作業が完了しました。
第4章では、ナンカロウから影響を受けて作曲されたリゲティ作曲《ピアノ練習曲》を分析する。リゲティはナンカロウの作品からピアノという楽器の新しい可能性を感じ、《ピアノ練習曲》という歴史に準じながらも革新的なピアノ技法を取り入れた作品を作曲した。リゲティが求めた音楽は自動演奏ピアノでは表現できない音楽であり、人の演奏の可能性を最大限に活かした音楽だったということができる。
作曲したものには自動ピアノ、自動オルガン、メトロノームとかそういうものもたくさんある
自動演奏ピアノのが作曲技法に与えた影響として最も重要な点は、ピアノの可能性を広げた点である。演奏者を排した音楽を作曲することでピアノそのものの可能性を提示した。新しい楽器を音楽に取り入れる時、今までの技法から推し進めるのではなく、その楽器そのものの可能性に注目した作品が生み出す必要があると考えている。それにより新しい発想が生まれ、その作品が後世の作曲家に影響を与えていくのではないだろうか。