データを信用すること
データを信用すること
今「ファクトフルネス」を読んでいるのにも関わるけど、警察の発表による拳銃の押収数とかが(少なくとも1993から数年の数字は)全く意味をなさないどころか、警察がヤクザと関係を深めて拳銃を斡旋してもらっていたので、治安を測る数字として当時利用していた人々にとっては、結果的には全くの裏目でもあったりして、データや数字を闇雲に信仰してしまうのも微妙だなぁと思う。何を持ってその数字を信頼に足るとするのか。 ある日、同級生とふたりでランチしているときに同級生が世間話としてなにげなく言った「最近は物騒な事件も増えているしね〜」的な発言に「それ、本当に増えているの?」みたいな反応をして、微妙な空気になったような
僕らはいくつかの本能によって何も知らない状態よりもさらに悪い状態にある
意思があれば、物事は短期的には多少ブレつつも少しずつよくなるということ
栄養疫学