〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす
〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす
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正義は暴走しないし、人それぞれでもない──。
アメリカ大統領選挙から、日本の「道徳」の授業まで、現代において「正義」や「公正」といった「正しいことば」はどのように使われているかを検討。
「正しさ」とはなにかを考えるうえで、わたしたち自身の〝ことばづかい〞を通して「正しいことば」をとらえなおす画期的論考。
2020年12月から全12回にわたって、著者が「公正」とはなにか、「正義」とはなにか、そのことばの使いこなし方をプラグマティズム言語哲学からさぐってきた本連載を、2023年8月、『〈公正フェアネス〉を乗りこなす──正義の反対は別の正義か』として、書籍化しました。全編にわたり大幅に加筆修正を加え、「正しさ」とはなにかを考えるうえで、わたしたち自身の〝ことばづかい〞を通して「正しいことば」をとらえなおす画期的論考となっています。ぜひご一読ください。 目次
はじめに
序章 正しいことばの使い方
第I部 「正義」というテクニック
1章 「正義」の模範運転とジョン・ロールズ
2章 「正義」の前提としての「公正」
3章 道徳教育と「正しいことば」の危険運転
4章 「道徳としての正義」とトランプ現象
第II部 「正しいことば」のよりどころ
5章 「会話」を止めるとはどういうことか
6章 「関心」をもつのはいいことか
7章 「自由」を大切に使う
8章 わたしたちの「残酷さ」と政治
第III部 「公正(フェアネス)」を乗りこなす
9章 理論的なだけでは「公正」たりえない
10章 「公」と「私」をつらぬく正義
11章 「公正」というシステムの責任者
12章 正義をめぐって会話する「われわれ」
あとがきにかえて
目次 詳細
はじめに
序章 正しいことばの使い方
「正しいことば」はややこしい?
ほんとうの意味を理解できなくても、正しく使うことはできる
ことばを乗りこなすために
ルールはあってもルールブックはない
「会話を止めるな」
第I部 「正義」というテクニック
アメリカ大統領選挙をとりまくことば
「正しいことば」の帰還?
「公正としての正義」
「正しいことば」に息を吹きこむ
2章 「正義」の前提としての「公正」
アメリカの「正義」、再訪
合意するための「場」
みなでとりくむ「命がけの挑戦」
現にともに生きているから、他者が気になる
わたしたちは「適度な」正義を実現できる
「全員にとっての利益」のための責務
コロナ禍における「自粛」と公正
「公正」は、思いやりや優しさではない
3章 道徳教育と「正しいことば」の危険運転
学校で学ぶ「正しいことば」
「道徳」教科が掲げる目標
公正とは「差別はよくない」ということ?
道徳の延長線上にある「正義」
法外な目標は「正しいことば」を空虚にする
日本における「正義」の息苦しさ
「道徳としての正義」と会話における事故
会話の止め方――三つのタイプ
4章 「道徳としての正義」とトランプ現象
トランプ現象を「予言」した哲学者
なにが「予言」されたのか?
「感情」に火をつけたトランプ
「当事者性のことば」と「正しいことば」
第II部 「正しいことば」のよりどころ
5章 「会話」を止めるとはどういうことか
あらためて、ことばを「乗りこなす」とは
「議論」や「探求」よりも「会話」が先にある
「会話の豊さ」を毀損する話法
正しいことばの使い方が「会話」を豊かにする
「論破」ゲームの陥穽
「正しいことば」を使いわけるために
6章 「関心」をもつのはいいことか
積極的無関心のすすめ
「関心」と「interest」
「関心」をかき立てる想像力
社会学的想像力の副作用、「過剰な」関心
「無関心」としての「寛容」
「関心」を理解し、乗りこなす
7章 「自由」を大切に使う
正しいことばとしての「自由」
現実政治と対峙する哲学者バーリン
自由と寛容/不寛容
「不寛容に対する寛容」は成り立つか
「自由」ということばの陥穽と例外
8章 わたしたちの「残酷さ」と政治
なにから自由を守るのか?
だれもが弱者であり、強者でありうる
「善」ではなく「悪」についての一致
なによりまず「残酷さ」を低減せよ
「残酷さ」への着目の系譜
わたしたちの「残酷さ」を直視する
コラム2 だれも「中立」ではいられない
第III部 「公正(フェアネス)」を乗りこなす
9章 理論的なだけでは「公正」たりえない
「残酷さ」への着目と「正義」の構想
身体感覚としての「残酷さ」は相対的なのか?
動物倫理と「文化・伝統」とのあいだの緊張
あまりに「西洋的」でも、あまりに抽象的でもない
ことばをもてないことの「残酷さ」
理論的なことばだけでは足りない
10章 「公」と「私」をつらぬく正義
それでも「正義はよいものだ」と言うために
社会において両立しえない複数の「善」
理念が個人を殺戮するとき
「まちがっていたくない」という怯懦
比喩による「公/私」の整理とその限界
わたしたちが生きる空間で響く複数の声
11章 「公正」というシステムの責任者
「公正としての正義」という仕組み
「正義」とは構造の問題である
「合理的配慮」の問題
「配慮」ではなく「調節」
問題は「構造的不正義」である
「公正としての正義」を駆動させつづける責任
12章 正義をめぐって会話する「われわれ」
だれが「われわれ」なのか
「正義をめぐる会話」への、届かぬ叫び
黙らせ、不平等を正当化する「力」
「憤激」と「ねたみ」
だれが「力」を行使しているのか
むすびにかえて
あとがきにかえて