召使心得
召使心得
召使心得 他四篇
スウィフト諷刺論集
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前に、別の場所でスウィフトの『召使心得』について論じたことがある。
スウィフトがその本で書き出したのは、召使い達がズルをし、ズルを黙認する代わりに分け前を要求することで、ズルのネットワークが出来ていることであるというのが、その話の本筋である。ズルというのは、本来使えるロウソクを交換してちょろまかしたりする、といったようなことだ。この場合は「本来ならばロウソクは全部使い切ってから交換するべき。ただし貧乏で困ってるならばちょろまかしてもよい」という二重規則の話ということが出来る。
その意味では、ダブルスタンダードとは、利害関係と党派性を形成するための方法であるということが出来る。だからこそ、私たちがダブルスタンダードに対して嫌な気持ちになるのは、実際は話が逆なのであって、むしろそこに利害関係と党派性が形成されていることを直感的に把握するからこそ、このような気持ちになるわけだ。
だが、パスカルの皮肉である「田舎者だけが人を田舎者と呼ぶ(パンセ・五二)」を思い起こし、また利益をぶら下げれば人は動くという世知のことを考えれば、私たちは何らかの形で常に利害関係と党派性を形成しているということを内面化しているが故に、このような発想が出てくるといってもいい。
それはどうしてかというと『召使心得』が「ズルが持つ制度的な仕組み(エコノミー)」を書き出しているからだ。
元々、アダム・スミスにしろ、マルクスにしろ、その「経済学」の発想をする上において人間学的な視野から、むしろ人間がそれぞれ取り持つ力学のほうへと考えを転換した。人を観察していると、人はそれ単独で完結しているのではなく、様々な力学の結果として人がいる、ということを発見せざるを得ない。しかし、それを既に発見していたのはスウィフトなのだという思いがしてくるのだ。
『召使心得』を読むと、例えば、ロウソクを取り替える分において、そのロウソクをちょろまかす。こうすることで、ロウソクを手に入れるというズルを手に入れる。一方で、料理人は料理人で、料理をしながらも、余った食材をパクったりする、ということが書かれている。
召使根性というのは自分がズルをしていたとしても、他人がズルをすることはどうしても許せない、という側面がある。恐らく凡庸な風刺家ならば、ここで止まってしまう。つまり「あいつはズルしている」という告発により、のし上がっていくことを召使根性と言うことも可能だ。事実、スウィフトも似たようなことは書いている。
しかし、それはどうも召使い達のエコノミーとは実態がズレていると思ったのだろう。スウィフトは観察を続ける。ある時、料理人と使用人がロウソクと食材を交換しているのを発見する。恐らく推測だけど。このときに召使根性を超えて、召使いのエコノミーを発見する。つまり、お互いのズルを交換しあうことによって、ズルという制度が成立していることを発見するのだ。(そして現代の「ズルの告発合戦」とは、まさにこのような「ズル」のエコノミーが破綻したところにある、ともいえる!)
スウィフトの風刺の真骨頂とは、まさにここに存在していると言える。風刺の精神とは、凝視することにある。凝視すれば、そのシステム自体が、その個々人だけではなく、総体として浮かび上がっていることがわかるのである。