マルチスピーシーズ民族誌
マルチスピーシーズ民族誌
Multispecies Ethnography
複数種の民族誌
“マルチスピーシーズ民族誌” という言葉を近年よく耳にする.本書はヒトとイヌがたがいに見つめ合いながら “やわらかな共同体” を形成していく過程を伝記的に描いている.もちろん主役は伝説の名犬 “キクマル” だ.かつてワタクシは駒場キャンパスや幡ヶ谷のマンションで, “キクマル” をなでなでしたことがある.本書を読んでまず受ける印象は,ヒトの住む場にイヌがやってくると,段階的に “ヒト–イヌ共同体” が成立することだ. https://gyazo.com/51eb4b388063987318cbfca08620d73b
https://gyazo.com/eeaee932e100378cfe85763546b44da1
不確定な時代を生きる術
THE MUSHROOM AT THE END OF THE WORLD
著者 アナ・チン
Anna Lowenhaupt Tsing
カリフォルニア大学サンタクルス校文化人類学科教授。
フェミニズム研究と環境人類学を先導する世界的権威。
インドネシア共和国・南カリマンタン州でフィールドワークをおこない、森林伐採問題の社会経済的背景の重層性をローカルかつグローバルな文脈からあきらかにしてきた。
訳者 赤嶺淳
オレゴン州(米国)、ラップランド(フィンランド)、雲南省(中国)におけるマルチサイテッドな調査にもとづき、日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンの発達史をマツタケのみならず、マツ類や菌など人間以外の存在から多角的に叙述するマルチスピーシーズ民族誌。ホストツリーと共生関係を構築するマツタケは人工栽培ができず、その豊凶を自然にゆだねざるをえない不確定な存在である。そうしたマツタケを採取するのも、移民や難民など不安定な生活を余儀なくされてきた人びとである。生態資源の保護か利用かといった単純な二項対立を排し、種々の不確定性が絡まりあう現代社会の分析にふさわしい社会科学のあり方を展望する。 「マルチスピーシーズ(複数種)民族誌」も、その流れに位置する。それは、異種間の創発的な出会いを取り上げ、人間を超えた領域へと人類学を拡張しようとする。 その成立の経緯は、概ね以下のように説明される。レヴィ=ストロースが動物を「考えるのに適している」と捉えたのに対し、ハリスは、それらは「食べるのに適している」と捉えた。しかし、動物を含む他の生物種は、人間にとって、たんに象徴的および唯物的な関心対象というだけではない。他種は、人間や別の種と関わりながら絡まりあってきた。ハラウェイが言うように、他種は人間にとって「ともに生きる」存在でもある。マルチスピーシーズ民族誌は、この「ともに生きる」というアイデアを重視する。それは、複数種を取り上げることによって、動植物を人間主体にとっての対象としか捉えようとしてこなかった人類学が抱える人間中心主義的な傾向に挑戦しようとする※5 ※6 ※7。 オグデンらによれば、マルチスピーシーズ民族誌とは、行為主体である存在者の絶え間なく変化するアッサンブラージュの内部における、生命の創発に通じた民族誌調査および記述である※8。それは、複数の有機体との関係において、人間的なるものが創発する仕方を理解しようとする。ヴァン・ドゥーレンらによれば、マルチスピーシーズ人類学は、他種をたんなる象徴、資源、人間の暮らしの背景と見ることを超えて、種間および複数種間で構成される経験世界や存在様式、他の生物種の生物文化的条件に関する分厚い記述を目指す※9。マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、人間を静的な「人間–存在(human beings)」ではなく、動的な「人間–生成(human becomings)」と捉える。
ツィンによれば、マツ、マツタケ、菌根菌、農家の人たちが絡まりあって生存可能性を生み出している。痩せた土地でマツと菌根菌は共存しており、菌根菌が育つとマツタケになる。農家の人たちは、燃料や肥料を求めてマツ林に入り、生態系に介入する。そのことで、マツは排除されることを免れ、マツにとって程よく攪乱された状況がつくり出される。マツ、菌根菌、農家の人という異種の偶然の遭遇によりマツタケが育つ。また日本では、高品質のマツタケは高価な贈り物として、特定の小売に卸され、人間関係の構築のために用いられる。マツタケはいったん自然から切り離されるが、人間と自然が絡まりあったものとして、人間社会にもたらされる※10 ※11。 ※10 Tsing, Anna Lowenhaupt “The Mushroom at the End of the World: On the Possibility of Life in Capitalist Ruins”, 2015
※11『ER』No.6, 富士通総研経済研究所 (2017) — アナ・ツィン「自然も文化も織りなすもつれを追いかけて — マツタケが示すこと、そして傷つけられた地球で生きる技法について」
マルチスピーシーズ人類学※13の特性をより鮮やかに理解するために、哲学の課題を一瞥することは有用だと思われる。現代のモノの哲学は、マルチスピーシーズ人類学と同根の主題を孕んでおり、人類学の近年の研究成果を取り入れて交差し、拡張されているからである。