カントの人間学 読解
https://gyazo.com/c1947685a1a821f224e4b0688ca37019
https://gyazo.com/f8afa4b0ca142c22c04ec21316d6ecc5
目次
編者前書き
1 『人間学』の日付
2 前批判期とのかかわり
3 批判期後とのかかわり
4 使用=慣用の地平
5 心と精神――カント哲学の本源的事実
8 体系的、大衆的
10 人間学的錯覚と二〇世紀の哲学
原注
訳注
訳者解説
カント基本用語集
読解
編者前書き
1 『人間学』の日付
『人間学』(1798年)、このテクストの内容は執筆以前におよそ30年にわたって講じられていた(と言われいてる) カントは1756年には自然地理学の教育を始めていた。一方、人間学の講義が開始されたのは1772年から1773年の冬学期になってのことらしい このテクストが現在知られているようなかたちで出版されたのは、ちょうど講義が終わり、カントが最終的に教授職から引退した頃のことである。1797年、ニュースが報じている。「彼がこの論考をいままで自分の手もとにとどめていたのは、受け持ちの講座のうちで学生が集まるのはもうそれくらいしかなかったからだ。もはや講義をしない以上、公衆の手にゆだねるのを渋ることはない」。
25年間にわたって形成され、展開され、カントの思想が新たな定式化とともに明らかになるにつれて変形されたにちがいないこのテクストについて、私たちはしたがってひとつの状態しか、つまり最後の状態しか知ってはいない。私たちに与えられたテクストはあらかじめいくつもの堆積層をそなえたものでありながら、それが形作られた過去に対しては閉じられている。
初期の探求が終わり、批判が始まり、カントの思想が三部からなる均衡に発展して、ついにライプニッツの回帰とシュルツェの懐疑論とフィヒテの観念論に対する防衛の体系の成立にいたる、その25年間を『人間学』は封じ込めており、
(訳注より)
1. 「初期の探求が終わり、批判が始まり…」とは、
1770年代末までの「前批判期」
1780年代末までの「批判期」
1990年代以降の「批判期後」
2. 「三部からなる均衡」とは、
3. 「三部からなる均衡」は『判断力批判』序論にて次のように定義される 以上、「自然」と「自由」の領域は互いに干渉しうるとはいえ完全に分離されている。しかし自由は普遍的な道徳法則のもとで究極目的目指すもので、この究極目的は自然界に実在しなければならない。この究極目的のあらわれを認識させる能力こそ「判断力」であり、判断力は実践的なものを度外視して自然を観照する人間に、「自然」と「自由」の2つの領域を媒介する合目的性の概念を与える 4. 「批判期後」については、批判哲学によって引き起こされた様々な異論に対するカントの応接を意味する
堆積はなお続いてるにもかかわらず、その深い地層の年代確定をゆるす外的で確実な基準はひとつも存在しないのだ。
2つの問いかけ
すでに1772年から『批判』の基底に特定の人間の具体的な人間のイメージが存在しつづけていて、そのイメージは本質的に変わらず、ついには大きな修正もなしに、カントが公刊した最後のテクストのなかで定式化されたのだとしたらどうだろうか。この人間のイメージが批判の経験をかいくぐったあとにも損なわれることがなかったのなら、もしかするとこのイメージは批判の経験を組織し支配した、とは言わないまでも、少なくともそれを導きひそかに方向づけるようなものだったのではないか。
(訳注より)
すでに1772年から『批判』の基底に…
前批判期にあたる1772年から講義が始まり、批判期を通じて継続されて、批判期後の1798年に出版されるカントの人間学的考察は、批判的思考とどう関係を持つのか
カントにおいて経験的な水準の人間認識と、経験の可能性の条件の探求(さらにそれが準備する「超越論哲学」)はどんな関係を持つのか フーコーが本書で立てる問いはこれである。そこには『言葉と物』における「経験的=超越論的二重体」としての「人間」の概念が先取りされている 反対に『人間学』は、批判の試みが発展するにつれて基本的な要素において大幅に変更されたのかもしれない。テクストの考古学が可能であれば、それまでの人間とは構造において本質的には異なるような「批判的人間」の誕生に立ち会わせてくれるかもしれない。その際には『批判』は哲学の「予備学」という本来の性格に加えて、人間存在の具体的な諸形式の誕生と生成に不可欠な役割を担っていたことになる
(訳注より)
『批判』は哲学の「予備学」
カントは『純粋理性批判』を「『純粋理性の体系』のための予備学」と見なしていた 『純粋理性の体系』を何と考えるのかは、20世紀前半のカント解釈上の一つの争点だった
(「訳者解説」を参照)
2 前批判期とのかかわり
人間学の初期の講義に前後するテクストに近づけてみるとき
『人間学』のテクストの起源が1772年、すなわち『感性界と知性界についての論考』(1770年)と『さまざまな人種について』(1775年)の間にあるとすると『人間学』が前批判期を閉じ、コペルニクス的転回を予告しようとする数年の間に生まれていることが見てとれるだろう。
(訳注より)
コペルニクス的転回を予告…
カントは『純粋理性批判』で「批判」のもたらす転換をコペルニクスの天動説から地動説への転換になぞらえている
「批判」は、主観の持つ認識が対象に属する性質にしたがって規定されるうと考える伝統的な立場を退けて、むしろ主観の側に対象を規定するア・プリオリな概念があって、対象の認識はその概念にしたがって構成されると考える
いずれにせよたしかなのは、1798年に公刊されたテクストが、前批判期の様々な著作にさしたる困難も目立った変更もなしに整合することだ。
『さまざまな人種について』(1775年) (以下、『試論』)
カントが知の編成のなかで『人間学』をどう位置づけていたかを理解するためには、『『試論』を締めくくる短い一節を見逃すことができない。『試論』は1775年夏学期の自然地理学の講義を予告するためのもの
自然地理学という学問は、それ自体を目的とするものでも、それだけで成り立つものでもない。それは、のちに『人間学』で人間知と同義とされる「世界知」( Weltkenntnis ) に先立つ研究なのだ。この世界知は2つの固有な特徴を持つものとして構想されている
—— 世界知は「獲得されたあらゆる知識と技能に」ついて、単に学校的(スコラ)な知を増やすだけでなく、具体的な生を組織し導く実用的な境地に立たなければならない。
(訳注より)
実用的な…
実用的(ドイツ語 pragmatisch )
カントの『人間学』は正式なタイトルを『実用的見地における人間学』という
その序文では人間学は「生理的」なものと「実用的」なものに大別される
この「実用性」は人間自身を「世界市民」として認識するところに求められる
—— そのためには、知が働く2つの領域である自然界と人間界は、狂詩曲の主題のように雑然ととりあげられてはならず、宇宙論的(コスモロジック)なやり方で捉えられなくてはならない。すなわち自然界と人間界からなり、この両者が所を得て、たがいに位置づけられるような全体との関係において捉えられなくてはならない。
こうした主題は、『人間学』の「序文」と最後の数頁で示されているものに近い。しかし主題の内容はそのままだとしても、反対に構造のほうは食い違っている。
自然地理学と人間学は、人間と自然の対置によって文節された世界認識の対照的な2つの半身として並列されることはなく、世界知へと向かう使命は完全に人間学にゆだねられている。
もはや人間学が自然と出会うのは、あらかじめ人間の居住可能な場として考えられた「地球」という姿のもとでしかないのだ。
その結果、自然地理学と人間学を前もって遠くから支配し、自然についての知と人間についての認識の統一的参照枠とされるような宇宙論的(コスモロジック)なパースペクティブという理念は雲散霧消して、コスモポリスの理念にとってかわられる。このコスモポリスの理念はプログラムとしての性格を持っており、それにしたがって世界はすでに与えられた宇宙としてよりも、建設さるべき政治共同体Iシテ)としてあらわれるのである
(訳注より)
コスモポリスの理念
「コスモポリス」とは「宇宙大の、普遍的な政治共同体」
コスモポリティスムは一般に「世界市民主義」。
カントの歴史哲学の主要なテーマであるこの理念について『人間学』は次のように述べている
「人間はおびただしい数の個人からなり ( … ) 彼らは平和的に共存せずにいられないが、またたえず互いに対立せずにも居られない。その結果、彼らは自分たち自身が制定する法のもとで互いに強制を加えているうちに、ひとつの同盟に向かうべく自然によってさだめられているのを感じとる。 ( … ) 同名はこうして、コスモポリス的な社会(世界市民主義)の理念をかたちづくる。この理念はそれとして到達できるものではなく、構成的な原理 ( … ) ではないが、統整的な原理である ( … ) 」
3 批判期後とのかかわり
もう一方の極において、『人間学』に最近になって加わったものが見きわめられる。こうして始まりと終わりを押さえておくことで、私たちは歴史的であると同時に構造的な事実、諸々のテクストの年譜と著作の建設術の双方においてあらわれるあの事実、すなわち批判的思考と人間学的考察の同時性という問題にとりくむにあたって、多少なりとも備えをかためることができるだろう
ヤーコブ・ジギスムント・ベックとの文通の最後の逸話
カントがベックに宛てた手紙のうち、哲学的に意味のある最後のものは1794年7月1日付のものである。
多様なものを把捉し、それを意識の統一のなかにとりこむということは、合成によってはじめて可能となるものを表象することにほかならない、と主張する。
(訳注より)
合成
直感の多様をまとめあげること。「綜合」とほぼ同義
『批判』の主要な主題 —— 客観への関係、多様な綜合、表象の普遍的妥当性 —— は、こうして伝達の問題を中心に据えて大がかりな再編成をこうむる。
(訳注より)
客観への関係、多様な綜合、表象の普遍的妥当性
以下3つの、『純粋理性批判』の基本構想
認識に際して主観は現象のみにかかわり、物自体(「超越論的客観」)と関係しえない
認識(表象)は感性的直感を通じて与えられる多様を綜合し、知性が概念をもたらすことで生み出される
表象が自然科学の法則に見られるような普遍的妥当性を持ちうるのは、主観の認識能力にそなわったア・プリオリな形式ゆえである
超越論的な綜合は、経験的な共有の可能性においてはじめて均衡をとったかたちで示されるのである。
経験的な共有は、「合意」と「伝達」という二重の形式であらわれる。一見矛盾するようだが、表象が物に帰属させられてはいないこと、つまり多様性があらかじめ結合したかたちで〔主観に〕与えられていないことこそが、他人との諸表象のやりとりをつねに可能にする。なぜなら、主観はどのように触発されるかによっては規定されず、表象を合成することにおいて自らを規定しているのだから。
「私たちがが理解でき、また他の人に伝えることができるのは、私たち自身がつくることができるものだけなのです」。
法権利の形而上学に関する議論
しかしシュッツによる反論は人間学的な問題意識のまさに核心をついていた。その問題意識は、法と道徳が合流するとともに分岐する特定の地点に位置するからである。
『人間学』が「実用的」(プラグマティック)なのは、それが人間を諸々の精神からなる道徳的な共同体(シテ)に属するものととらえる〔もしそうなら『人間学』は「実践的」(プラティック)と呼ばれるだろう〕のでもなく、諸々の法的主体からなる市民社会に属するものととらえる〔その場合には「法的」となるだろう〕のでもなく、むしろ「世界市民」として、つまり具体的普遍の領域に属するものとして考察するからなのだ。
こうして、絡み合う網が一挙に編み出される。その網のなかでは法権利も道徳も純粋な状態で存在することはないけれど、その法権利や道徳の絡み合いこそが、人間の行為に作用する場や具体的な余地を提供する。それは根本的な自由のレベルにあるのでもなければ、法的規則のレベルにあるのでもない。ここにあらわれているのは特定のかたちをとった実用的な自由である。その実用的な自由においては、要求と狡知が、怪しげな意図と人目をあざむく隠蔽が、主導権を握ろうとするひそかな企みが、そして忍耐と忍耐のあいだで成立する妥協が問題となる。
カントは『人間学』の序文で暗示していた。そこでは「自由に行為する存在」としての人間が自分自身に対してなすこと、なしうること、なさねばならないことを規定するのが本書の目的であると述べられていた。
なすこと、なしうること、なさねばならないこと
人間を「自由に行為する存在」としてとりあげることで、『人間学』は一大「自由-交易」圏を出現させる。そこで人間は自分たちの自由をまるで手渡しするように流通させ、物静かで途絶えることのない取引によって諸々の他人と結びつくのだが、その取引こそが人間が地球上の表面すべてを住処とすることを可能にする。世界市民、である。
4 使用=慣用の地平
ここでしばらく立ち止まってみなくてはならない。そしてひとつの方便として『人間学』を『批判』に参照を求めずに位置づけられるかのようなふりをしてみよう。なぜなら、1798年のテクストが『批判』を明示的に前提とすることなどないのだから。
人間学的な思考は、博物学的な意味で人間の「本質」を定義し、その定義のなかに人間を封じ込めようとするものではない。
自然の真理が到達点ではありえないことをあらかじめ見通したうえで、その道を進むという方法であり、意志である。「探索」であることは『人間学』の真髄である。つまり、それはある総体を踏破しようとするのだが、その総体はひとつの全体として与えられることも、自己自身のもとに安らうことも決してない。なぜならその総体は、自然と自由が「使用=慣用」 —— フランス語では "usage" という言葉がその多義性のいくぶんかと重なり合う —— において絡まりあうような運動のなかにとらえられているのだから。
"usage" 活用
第一に、『人間学』はもはや「ひとはいかに人間を使用することができるか」ではなく、「ひとは人間から何を期待できるか」を探し求める。
「ひとはいかに人間を使用することができるか」
「人間が何であるかではなく、人間が自分自身をどうするか」
第二に、『人間学』は、人間が自己自身について「なしうること」と「なさねばならぬこと」を規定することになる。
「なしうること」と「なさねばならぬこと」
「使用=慣用」はさしせまった技術的関心の水準から引き抜かれ、自己自身に対して断固引き受けられた義務、と、他人たちに対する敬意をはらんだ距離、という二重の体系のなかに位置づけられる。すなわち特異であると同時に普遍的なものとして定式化される自由、そのような自由についてのテクストのなかに位置づけられるのだ。
こうして『人間学』の「実用的」な性格が定義される。
講義草稿によれば「社会のなかで一般的に使用されうる認識が実用的と呼ばれる」、つまり実用的なものとは普遍的になった有用なものでしかなかった。1798年のテクストでは、それは「なしうること」と「なさねばならぬこと」のつながりの特定のありかたとなる。
実践理性が定言命法のなかでア・プリオリなものとして保証していたこの関係は、人間学的考察においては、日常的ないとなみの具体的な運動のなかで保証される。
(カント基本用語集より)
定言命法
なんらかの意図(例えば幸福の実現)に関係させることなく、それ自体として客観的に必然的なものとして行為を命ずる。必当然的な実践の原理。その定式化のひとつが「汝の意志の格率(行動指針)が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」。
人間は自然の「戯れ」ではあるけれどその「戯れ」は人間が「演じ」、人間自身が「用いる」ものである。たとえば感覚のもたらす錯覚のなかで人間が「翻弄される」ことがるとしてもそれはこの「戯れ」の犠牲者となるおうなしかたで彼自身が「演じた」からなのだ。その「ゲーム」を統御し、なにがしかの意図的な作為にもとづいてやりなおすこともできる。この場合には「演技」は「技巧的な演技」となり彼が「用いる」見かけは道徳的に正当化される。
つまり『人間学』は「遊戯=玩具」としての両義性から「芸術=作為」としての「技法」の不確定性にいたる、こうした人間のいとなみの次元において展開される
カントの人間学は本来、自然と人間、自由と使用、学校と世界の分割を踏まえて展開されていた。いまやそれらの二項の分割ではなく統一を認めるところにあらたな均衡が求められるのだが、少なくとも人間学の水準では、この統一がふたたび問題にされることはない。
『人間学』が探索する地帯は、自由と使用があらかじめ慣用の相互性のなかで結びあわされ、「なしうること」と「なさねばならぬこと」が拮抗する戯れの統一のなかでたがいに属し、ある文化が与える諸々の指示によって世界が学校となるような地帯なのだ。
『人間学』において、人間は「自然的人間」でもなければ純粋な自由の主体でもない。そこで人間はすでになしとげらえた諸々の綜合のなかにとらえられており、その綜合によって世界に結びつけられているのである。
5 心と精神――カント哲学の本源的事実
人間知としての人間学のなかには、なにがしかの世界知が含まれている。「世界知とは人間知である」と1770年代の講義草稿のある断章も明言していた。
1798年のテクストの序文も、世界に住まう人間、すなわち「世界市民」を対象にさだめていた。
とはいえ『人間学』は、世界に住む人間を、つまりこの宇宙にあまねく市民としての権利や義務や相互性や限界や交換をうちたてる人間を、特権的な主題として検討することはほとんどない。
その分析の大半は、世界市民的な「世界」の次元ではなく、内面的な「心」の次元で展開されている。
この点で『人間学』は、カントが百科全書的な編成にしたがって3つの『批判』の結びつきを示そうとしたときと同じパースペクティブのなかにある。
実際『判断力批判』の第一序論でカントは次のように言っていた。 「心の能力は総じて以下に挙げる3つのものに帰着する。すなわち、認識の能力、快・不快の感情、欲求の能力である」
認識の能力、快・不快の感情、欲求の能力
いまや「心」そのものに問いかけなければならない。「心」は心理学の範囲に属すのか、属さないのか。
それは「魂」ではない。しかしまた、それは「精神」であると同時に「精神」ではない。目立たないとはいえ『人間学』のなかに「精神」についての議論があらわれていることは重要である。
「精神とは人間のうちになる生き生きとさせる原理である」
ありがちな一文である。さらに、この一文がとるにたらないものだと念を押すように、日常の言い回しからつぎのような例が引かれている。
「ある種の話、ある種の書き物、ある種の社交界の婦人は美しい、けれども精神がない」
「精神」があると見なされるためには、ひとは他人の関心を惹かなければならないという。しかも「理念を通じて」。
理念
そう述べてから少し先で、カントは一連の指摘をふたたびとりあげ、そのすべてをたったひとつの謎めいた定義ののうちに結び合わせている。
「理念を通じて生き生きとさせる心の原理が、精神と呼ばれる」
言葉に立ち止まろう。私たちにとって問題となるのは「原理」である。
「理念を通じて」という言葉は、別のことを意味しているのだ。
理念は図式として、構成的ではないにせよ対象の可能性に向かって開かれており、(この可能性を)先取りする。
(カント基本用語集より)
図式
感性的直観と知性的概念を媒介する役割を果たす想像力のはたらき。
理念はまた、「明示的な」運動によって事物の本性をあらわにするわけではないとしても、この本性をどのように探求すればよいかを前もって示してくれる。そして最後に理念は、宇宙の果てにいたろうとするのが認識の地平を越えたことだと示唆しながら、経験的な理性がこの果てしない苦闘に真剣にとりくむよう促す。
言いかえると、経験から自分のはたらくべき領域を受けとりさえすれば、理念は無限の動態のなかに精神を招き入れ、たえず「より遠くへ行こうとする運動」を与える。しかしだからといって、精神はのりこえ不可能な散逸のなかで失われることはない。こうして、経験的な理性は決して所与の上にまどろむことなく、理念によって無限と結びつけられて可能的なものの次元に「生きる」のである。その理念によって、無限は経験的な理性に対して拒まれているのだとしても。
したがって「精神」の機能は以下のようなものとなるだろう。「心」を組織してひとつの生物と化したり、有機的な生命体の類否物としたり、絶対者そのものの生としたりするのではなく、「心」を生き生きとさせ、経験的に規定されているからこそ受動的であるその「心」のなかに、諸々の理念がひしめきあう運動を生みだすこと。
これらの理念の運動は、生成するひとつの全体性にそなわった複数の多様性の構造にほかならず、あたかも精神のなかでいくつもの部分的な生命が生き死にするかのように、自らを形作っては消え去ってゆく。だからこそ「心」は「なにものかである」のみならず「自分自身をなにものかとなす」ものでもあるのだ。
これはまさしく、『人間学』が探求の領野としてさだめるものではないだろうか。その際、「心」が自分自身をいかになすべきかについては、「理性をできるかぎり経験的に使用すること」が求められると付言しておけばよい。この使用は「理念を通じて」はじめて「できるかぎり」のものになるだろう。
『批判』において超越論的な蜃気楼を生みだすとされたまさにその運動が、『人間学』においては経験的で具体的な「心」の生を継続させるのである。
唯一で至高の構造をそなえた本源的事実が睥睨(へいげい)している。『批判』の必然性と、『人間学』の可能性を
『人間学』では、綜合と所与の関係は『批判』を転倒させたイメージで示されている
『批判』では、本源的に与えられていることだけを共通項にして、限りなく薄く広がる表面のように見なされていた多様は、『人間学』では思いがけぬ深みを持つことが明らかになる。そこで多様はあらかじめ集合をなし、組織され、仮初めであったり堅固であったりする綜合の形象を受けとっているものとしてあらわれるのである。
『人間学』における所与とア・プリオリの関係は『批判』がとりだしたものとは逆の構造を持っている。
認識の次元におけるア・プリオリは、具体的な現実存在の次元においては「本源的なもの」となる。それは時系列の上で最初に来るわけではないにせよ、綜合の様々な形象の継起のなかにあらわれるやいなや、「すでにそこに」あったものとして与えられる。
反対に、認識の次元おいて純粋な所与であったものは、具体的な現実存在についての考察において物言わぬ光によって照らし出されると、あらかじめ構成されたものとしての深みをあらわにするのである。
『批判』が構成という根拠づけの活動を条件づけるものは何かを探索していたのに対して、「人間学』は条件づけられたもののうち根拠を持たないものは何かについてその一覧を作成する。
人間学の地帯には、脅かされることのない綜合など存在しない。経験の領域は、その内側から危険によって掘り崩されるかのようだ。その危険は別に恣意的な行き過ぎからではなく、経験のなかでおのずと起こる崩落からやって来る。
可能的な経験を限界づける円周は、真理の領野と、真理の喪失の領野を、同時にさだめるのである。
遠く隔たった近さが明らかになるにつれ『批判』と『人間学』のあいだにどのような関係がなりたつのか、という問いもいっそう差し迫ったものになる。
重要な2つのテクスト。ひとつは『純粋理性批判』の「超越論的方法論」の一節、もうひとつは『論理学』に見られるいささか謎めいた指示。
『純粋理性批判』の「超越論的方法論」は3つの根本的な問いかけを挙げている。
『純粋理性批判』の「超越論的方法論」
第一に、「私は何を知りうるか」 —— この思弁的な問いには、「理性が満足すべき」回答が『批判』で与えられている。
「私は何を知りうるか」
第二に、「私は何をすべきか」 —— この問いは実践的な問いである。
「私は何をすべきか」
第三に、「私は何を望みうるか」 —— この問いかけは理論的かつ実践的なものだ。
「私は何を望みうるか」
批判的思考の編成のなかから突出し、ある程度までそれを支配してさえいたこの三重の問いは『論理学』の冒頭にも見られるが、しかしそこでは決定的な変更がなされている。
『論理学』の冒頭
「人間とは何か」という第四の問いがあらわれるのだ。
「人間とは何か」
この問いは先行する三つの問いの全てを一つの参照項のなかに包摂し、まとめあげる。「すべて」の問いがこの問いに関係づけられなければならないからだ。それは形而上学と道徳と宗教とが人間学のなかに含まれなければならないと言うに等しい。
人間学はもはや哲学的な認識のなかでもっとも経験的な下層ではなく、いまや哲学的考察が問いのなかの問いの高みに達する地点とされる(ように見える)。
私たちの知る『人間学』は、決して「人間とは何か」という第四の問いに対する答えであろうとはしない。この問いを経験的な次元でできるかぎり広範囲に展開しようともしない。そもそもこの問いが立てられるのは、もうしばらく後になってから、しかも『人間学』の外部で、必ずしも『人間学』には属さないパースペクティブのなかでだった。
つまりカントの思想にあって「哲学すること」の全体が編成される時点、『論理学』(1800年)と『オプス・ポストゥムム』(1804年)においてのことだったのである
『オプス・ポストゥムム』のある断章は次のように明言している。「超越論哲学の三区分。神、世界もしくは宇宙、道徳的存在としての人間の私自身」
神、世界もしくは宇宙、道徳的存在としての人間の私自身
この三つの概念は、予定された体系の三つの要素として均質な表面の上に並列されているわけではない。第三項は単に総体を編成する三つの部分のひとつではなく、「媒介項」として中心的な役割を果たすのだ。人間というこの第三項は、神と世界がそこで、それによって統一されるような具体的で活動的な単位である。
「神、世界、そしてこれらの概念を統一する存在としての、人格としての人間」。
人間における、人間による神と世界のこの「統一」とは、いったい何なのか。それによってどんな綜合が、あるいはどんな作用が想定されているのか。それはどんな水準に位置づけられるのか。その水準は経験的なのか、それとも超越論的なのか。本源的なのか、それとも根本的なのか。
(訳注より)
本源的( originaire )なのか、それとも根本的( fondamental )なのか 「根本的」は fondamental (「基礎的」とも翻訳可能な言葉で、ハイデガーでは gründlich 「根拠的」とも類義的)にあたる (カント基本用語集より)
ラテン語で「先に」という意味を持つ言葉で、「ア・ポステリオリ」すなわち「後に」の対義語。カントでは「経験に先立つ」こと、「経験に依存しないこと」を意味する。 いくつかのテクストにしたがうなら、この統一は思考の行為そのものであるらしい。人間が世界と神に統一を与えるのは、人間が思考する主体、つまり世界を思考し神を思考する主体として主権を行使するかぎりだという。
したがって統一という行為は思考の行う綜合そのものである。
この行為が持つ唯一の形式である判断の形式に即して考察されることもある。あたかも、神・世界・人間の共存のありかたとその根本的な諸関係が、伝統的な論理学の体制に属する判断の構造をそのままなぞるように。つまり「主語」・「述語」・「繋辞」の三幅対が、神と世界と人間の関係の形象をさだめるのである。 その時、人間は「繋辞」ないし「つながり」となる。宇宙にかかわる普遍的な判断において、動詞に相当するものとされるのだ 人間は最後に普遍的綜合としてあらわれる。神の人格性と世界の客観性が合流する地点、または感性的な原理と超感性的な原理が合流する地点に現実的な統一をかたちづくる綜合である。こうして人間は媒介者となり、そこから出発して「ひとつの絶対的な全体」が描かれる。人間から出発することによってこそ、絶対は思考されうるのである。
「人間とは何か」という問いの内容が、本源的に自律したものとして展開されることはない。というのも、人間ははじめから「世界に住まうもの」として定義されているのだから。「人間はたしかに世界に属する」。したがって、人間についての考察はそのまま円環を描いて世界についての考察に送り返される。
『論理学』のテクストを、私たちが置き去りにしてきた時点からあらためてとりあげえてみよう 「したがって、哲学者は以下のことを規定できなくてはならない。
2. すべての知の可能かつ有用な使用の領域 Umgang 3. そして最後に、理性の諸限界 Grenzen 」 人間への問いかけから分岐するこれら三つの指示は何を意味し、何に関連づけられているのか。
これら三つの主題が最初の三つの問い(「私は何を知りうるか」「私は何をすべきか」「私は何を望みうるか」)をとりあげなおすと同時に、『オプス・ポストゥムム』で「現実存在の総体」の根本的な構造といわれるものをすでに素描していることだ。 「人間の知の諸源」をさだめることで、「私な何を知りうるか」という問いが内容を得る。 「知の可能かつ有用な使用の領域」をさだめることで、「私は何をすべきか」という問いに対して、どんな答えがありうるかが示唆される。 「理性の諸限界」をさだめることで、あの「何を望むことが許されているのか」という問いが意味を持つのである ひとたび内容を種別化してみると「人間とは何か」という第四の問いには、基本的に最初の三つの問いと異なる意味はない。だから三つの問いが最後の問いを参照するからといっても、それらが最後の問いのなかで消えてしまうわけではないし、それらを越え出るような新たな問いかけに帰着するのでもない。人間学の問いは単にそれに関係づけられる最初の三つの問いを繰り返すのだ。ここで私たちは、人間学的=批判的反復の構造上の根拠に直面している。
この根本的な反復の意義は、反復される言葉や反復される言語の水準ではなく、この反復の向かう先に求められなくてはならない。つまり『オプス・ポストゥムム』で「現実存在の総体」を特徴づけるものとして問題になっていた、源泉・領域・限界からなるあの三部構造の解明に。この三つの概念は『論理学』では第四の問いを種別化する主題と『オプス・ポストゥムム』所収の最晩年のテクストで全体としての世界の概念に意味を与えるものと共通している。 源泉・領域・限界
批判的思考の緯糸(よこいと)であった「源泉」「領域」「限界」という三つの概念は、執拗にとどまり重圧を加えつづけたすえに、ついに現実存在の「総体」が問われる根拠の水準にいたる。そこではじめて、当の三つの概念がそれ自体として姿をあらわすのだ。 さらに「哲学すること」を活気づける三つの問いも反復し、他のすべての問いが関係づけられる人間についての問いかけに三重の内容を与えもする。
このようにして一連の三部構成をひとつひとつとりあげなおし、反復すること自体によって、源泉・領域・限界という三つの概念は一連の三部構成を根本的なものの水準にもたらし、体系的な区分にかえて超越論的な相関関係を編成するのである。 世界が「源泉」なのは、単に感性的な「能力」にとってのことではなく、「受動性―自発性」の超越論的な相関関係に基づくこと。また、世界が「領域」なのは、単に総合する知性にとってのことではなく、「必然性―自由」の超越論的な相関関係に基づくこと、さらに、世界が「限界」なのは、単に理念の使用に関してのことではなく、「理性―精神」の超越論的な相関関係に基づくこと。かくして複数の相関関係からなるこの体系のなかで、真理と自由相互の超越が根拠づけられるのだ。 8 体系的、大衆的
1798年のテクストと『批判』の関係は逆説的である。一方で『批判』は『人間学』を予告し、経験的哲学のなかにその場所を確保しているが、『人間学』は『批判』も『批判』が用意した編成原理も参照しない。だが一方で、『人間学』はまるで自明のことのように、『批判』の提起する大きな分節とすでに通例となった諸能力の区分をふたたびとりあげている。しかし、暗黙のうちにつねに参照されていると言っても、『批判』が『人間学』の根拠となるわけではない。『人間学』は『批判』の仕事を踏まえてはいるけれど、『批判』には根ざしてはいないのだ。『人間学』はおのずから枝分かれして、その根拠となるべきものへと向かう。もはや批判ではなく超越論哲学そのものへと向かうのだ。これこそが『人間学』の経験性の機能であり、緯糸(よこいと)なのである。
『人間学』によると、この著作は「体系的」であると同時に「大衆的」なものだという。
体系的
散逸、時間の話
( … 略 … )
(時間が足りなかった…)
大衆的
『人間学』は、自分が存在するために必要なものを自分自身のなかに折り込んでいるのだ。
この円環をほどくことなく、与えられたままに受け止めねばならない。それもこの円環が与えられている場、すなわち言語において。というのも、言語においてこそ、言語を語る可能性と言語について語る可能性が同じひとつの運動のなかに存在するのだから。一般的な言語の慣用は「実例」尽きることのない源泉である。
読者が自分で実例を見つけられることからこのテクストは大衆的であるという。それはつまり、作者と公衆のあいだに共有された日常言語の基底があって、この日常言語がそのままいきなり、ページの余白の始まるところから書物を語り継ぐことができるということだ。
カントにおいては、人間たちの言葉の増殖を自然の物言わぬロゴスにしたがって秩序づけることなど問題にはならない。言語が屈曲を見せるところには必ずなんらかの意味の特殊なあらわれがあるという前提に立って、この言語の前提立って、この言語の全体をとらえることこそが重要なのだ。日常言語が「馬鹿」( Dumm )と「愚か」( Tor )と「阿呆」(Narr)のあいだに見いだす歳は、博物学者たちが立てる「妄執」( vesania )と「妄想」( insnia )の種差と同様に十分に妥当するし、意味を持っている。人間学の水準には錯誤した言語も、まして誤った語彙も存在しないのである。
人間学的な経験の地は心理学的というよりもずっと言語学的なのだ。しかし、そこで国語は問われるべき体系としてではなく、むしろひとが最初からその内に置かれているような自明な地平として与えられている。やりとりの道具であり、対話の担い手であり、潜在的な相互理解である国語は、哲学と非哲学に共通の領野である。両者はまさに国語において対決する。いやむしろ、そこで通じ合う。
だからこそ、カント流の「饗宴」が存在する。『人間学』には、会食というささやかな社会のかたちに対する根強い関心が見られる。重要なのは「会話」であり、その会話でやりとりされるもの、やりとりされるべきものである。
もはや私たちは、人間を「世界市民」として研究するという『人間学』冒頭の約束に驚く必要はない。「心」の分析に専念するこの著作は、その約束を反故にしているように見えた。しかし、実は『人間学』において、人間が「世界市民」なのは、人間がなんらかの社会集団や制度に属するからではない。そうではなくて単に人間が話すからなのだ。言語のやりとりのなかでこそ、人間は具体的普遍に到達すると同時にみずからそれを完成する。人間がそのなかに住むとは、本源的な意味で、言語のなかにとどまるということなのだ。
『人間学』が明らかにする真理は、交換の運動そのもののなかにあり、この交換こそが人間の普遍的真理を完成する。
( … 略 … )
(時間が足りなかった…)
10 人間学的錯覚と二〇世紀の哲学
( … 略 … )
(時間が足りなかった…)
原注
訳注
訳者解説
概要
本書およびイマヌエル・カント『実用的見地における人間学』の翻訳と注記は、1961年、フーコーが文学博士号取得のためにソルボンヌ大学に提出した主副2つの論文のうちの副論文にあたる。フーコー35歳の作品になる。同時に提出された主論文が『狂気の歴史』 起伏の激しいその行程が、「知」から「権力」へ、そして「自己」へ、という断続的な問題設定の変更を伴うものであった
『カントの人間学』を読む者には、それらフーコーの試みのすべてが、この小さな書物にあらかじめ孕まれていたように映る
若きフーコーは、老いゆくカントが生前最後に発表した『人間学』(1798)を、哲学者カントの全行程のなかに位置づけてみせる。フーコーは、まさにカントが終わろうとしている地点から始めるのだ。
フーコーが生涯を通じてつねに啓蒙の時代からフランス革命にいたるヨーロッパの18世紀末に起こった断絶に注目しつづけたのも、この時代、カントとともに、現代のわれわれのものでもありつづけている問題、自分自身がとりくむべき問題が出現するのをみとめたからにほかなるまい。
本書は、カントの『人間学』への、あるいはカント哲学一般への特異な序論であるばかりか、フーコーがその後とりくむ膨大な仕事への序論であり、プログラムなのである
ハイデガーとの関係
フーコーがこのカント読解を通じて、決して名指されることのない一人の哲学者に挑戦している。その哲学者の名はハイデガー。
マルティン・ハイデガー『カントと形而上学の問題』(『カント書』)
フーコーは本書でハイデガーにかぎりなく接近しながら、ハイデガーを裏切っている。しかもその裏切りを、どこまでもカントに忠実であることによって果たす。
フーコー『カントの人間学』より
「批判」の企ては、カントの『人間学』によって反転=反復され、それを通路として、最晩年の「超越論哲学」の展望を開く
ハイデガー『カント書』より
「批判」の企ては、カントの「哲学的人間学」の構想を通路として、私自身がとりくもうとする「基礎的存在論」の展望を開く
フーコーは3つの点でハイデガーから距離をとっている
第一に、ハイデガーにとって「基礎的存在論」は自分自身がとりくむべき仕事であるのに対し、フーコーは「超越論哲学」をカントの最晩年の仕事のなかに見いだすこと
第二に、ハイデガーにとって「人間学」は「批判」から「基礎的存在論」にいたるまっすぐな通路であるのに対し、フーコーは「人間学」に「批判」の反転=反復を認めること
第三に、ハイデガーがカント『論理学』(1800)の「人間とは何か」という問いから読み取られた「哲学的人間」の構想に注目するのに対して、フーコーはあくまでも、「世界=世間」のなかで「人間は自分自信をいかになすべきか」を問う『実用的見地における人間学』にこだわること
そんな異論を唱えたのも、フーコー自身がハイデガーのカント読解の核心を反復しながら反転させることによって、ハイデガーの問題圏の外に出ようとしていたからにちがいない。
ハイデガーのカント読解
ハイデガーのカント読解の核心というのは、有限性を受動性と能動性の交錯においてとらえ、その根底に時間との関係を見る立場にある
『カント書』のハイデガーは『純粋理性批判』が示すような有限で受動的な認識を成立させるのは、主観の内にあって主観をその外に向かわせる能動的ななにかであるとして、そのなにかを最終的に、思考の根本的な統一を担う超越論的統覚(「我惟う」)の自己触発に見いだしていた。「我惟う」の基底には「私」の自覚があり「私」の「私」に対する関係(ずれ)がある。この自己への関係こそが時間の経験の根源にあって、主観をその外のなにものかに向かわせる。 ハイデガーにとっては、この認識する「私」の超越を、実存する「私」の「世界」に向けての超越へ、さらに「存在」そのものに向けての超越へと、より深い形而上学的統一を求めて反復するところに存在論の歩みがある。
その際、「哲学的人間学」は、いわば認識の領域と実存の領域の通路として位置づけられる
フーコーのカント読解
フーコーは本書のなかで繰り返し「批判」のア・プリオリな水準と、『人間学』の経験的な水準の区別を強調している。その区別を通じて受動性と能動性の対が『人間学』でどんな姿をとるかが少しずつ示されていく。
『批判』では、認識主観が所与の多様を綜合するはたらきを担うのに対して、
『人間学』では、日常的ないとなみの主体はすでになされた綜合のなかに置かれる。そこでは主体のふるまい(「使用」)は、すでにある綜合、人々の「慣用」に身を添わせなければならない。
『人間学』が見る「心」には「精神」そして「理念」という能動性の原理がそなわっている。それゆえに『人間学』では「心」の分析は『批判』のような内面的な能力にはとどまらず、能力の外面へのあらわれを射程におさめることになる。しかしそうして外面にあらわれるやいなや、「心」の能力は我を見失い、失調し、倒錯してしまうのだ。
時間と日常
本書の第8章でフーコーはそんな「世界=世間」のなかの主体の逸脱や失調や倒錯がどこから来るのかを明らかにしている。それはなにより時間との関係から来るのだという
『批判』において時間はあくまでも認識主観の持つ形式であり、主観における受動性と能動性の交錯があらわれているといっても、それはあくまでも認識のア・プリオリな可能性の形式的条件にすぎない
反対に『人間学』の経験的な水準でこそ、主体は時間のなかで活動する。だからこそ主体の活動はたえずおのずから散逸し、自分自身からずれるのであり、その散逸を主体がのりこえることは決してできない。主体は時間に対してどこまでも受動的であるがゆえに、あらゆる逸脱y失調や倒錯にさらされる。
しかし同時に、時間がもたらすその散逸こそが主体の能動性の根拠であり、主体にさらなる活動を促す。その散逸は綜合がつねに仮初めのものでしかないことを示し、誤謬の可能性とともに誤謬を正す自由を主体に与えるからである。その自由の行使が、主体をふたたび散逸の危険にさらすのだとしても。
つねにすでに作動している時間の経験は、そして「本源的」な自己への関係は『批判』のア・プリオリな可能性の水準ではなく、その可能性をたえず現実的な散逸にさらす『人間学』の経験的な水準でとらえなければならない。『人間学』はこうして『批判』を反転=反復する。
それとともに、ハイデガーのいう「私」の「超越」も、フーコーによって人々が日常的に繰り返す「散逸」へと反復=反転されるのである。
技法と言語
かくしてカントの『人間学』の「世界=世間」は生々しい姿をとってあらわれる。
この「本源的な」水準で特権的な主題となるのは「技法」と「言語」だ。
「技法」とは、まさに時間のなかで苦闘する人々のふるまいややりくりの総体のことだ。
「言語」の主題は、その時間の経験のなかでやりとりされる言葉と、言葉のやりとりそのものにかかわる。そこで注目されるのは「語用論」(プラグマティック)の空間である。
すなわち、交換され、流通しているかぎりで内容と効力を持つような知や規範が、あるいは哲学と非哲学が対面する饗宴の作法が、つまり単に話す存在としての人々が集う語らいの場の作法が問題になる。まさにこの語らいのなかに、フーコーは個別的普遍の実現を見る。言葉のやりとりを介して、「世間」は「世界」に通ずるのだ。
真理と自由、有限性
『人間学』において「技法」と「言語」という2つの主題から浮かび上がってくるのは、真理(たえずやりなおされる綜合)と自由(綜合のやりなおしの可能性)が、個別的かつ普遍的な主体において結びつくという事態にほかならない。
この結びつきを有限性との関係において考察することこそカントが最晩年に試みた「超越論哲学」の課題だった。フーコーはそう断言する。カントの未刊遺稿集『オプス・ポストゥムム』で「神・世界・人間」の関係を通じて問われていたのは、真理と自由と有限性のこの結びつきなのだ、と。
『論理学』でカントが発した「人間とは何か」という問いは、「批判」の「ア・プリオリ」な水準の問いを、「超越論哲学」の「根本的」な水準の問いに転換する機能しか持たない。
この「根本的」な水準においてはじめて、「私」の自己触発が、すなわち有限性の自己自身への働きかけが、真理の創出と自由の行使として理解される。
「超越論哲学」は有限性の「超越」の終着点であるどころか、有限性の自由を根拠づけ、有限性を新たな真理の創出へ、たえずやりなおされる綜合へと向かわせるのだ。
そのとき通り過ぎられた『人間学』の領域は、もはや『批判』の陰画(ネガ)としてではなく、むしろ「超越論哲学」の陽画(ポジ)としてあらためて反転されるだろう。
人々の日常のいとなみが見せる「散逸」は、こうして新たな真理を生み出す有限性の自由のあらわれになる。この「世界=世間」のたあなかで続けられる人々の苦闘そのものが、限界から踏み出してはたえずその限界を引き直す限界の経験になるのだ。カントからニーチェへの道が開かれる。フーコー自身が歩もうとする道が、様々に分岐しながら「世界=世間」の実用のなかに分け入っていく道である。
最終章いちばん最後の言葉が、「すなわち、超人。」
カントの『人間学』が「人間とは何か」という問いに答えようとするのではなく、人々のいとなみの「散逸」に、あるいはその「散逸」のただなかから「散逸」をのりこえていこうとする苦闘にこそ注目していたのなら、そこで「人間」はすでにいささか「超人」であったというべきではないか。
フーコーがつかんで手放そうとしなかったこと
フーコーがこの『人間学』でつかんだ問題、フーコーがそののち決して手放そうとはしなかった問題はここにある。18世紀末、「人間学」の領野で起こった有限性についての2つの思考の交錯に。
すでにカントが示唆していたように、有限性に真理と自由の結びつきを認め、「世界=世間」でくりひろげられる「散逸」を肯定的な限界の経験として考えるのか。
それとも、多くの人間学者とその末裔たちがしてきたように、有限性を特定の本質のなかに囲い込み、「散逸」を否定的なものと見なすのか。
フーコーは断固として、カントの歩みが終わったところから、カントに忠実に自分の歩みを進める。
日常的な人々のふるまいや語らいに眼をむけよう。というより、自分が身を置いているこの「世界=世間」のなかから、自分自身の苦闘を始めよう。それも、まるで戯れのように、ゲームの規則を踏み越えながら。いや、むしろ、そんなふうに快活に苦闘を続けていくべきだろう。ふりかえってみれば、いつだってゲームはすでに始まっているのだから。
カント基本用語集