アフォーダンスを形成して内外を区別する
from 2020/09
アフォーダンスを形成して内外を区別する
全然意味がわからん
それっぽい気がするけど、全然意味がわからん。なにを言っているのか
それはコミュニケーションぢゃない,グルーミングだ! — しっぽのさきっちょ | text.Baldanders.info https://text.baldanders.info/remark/2020/09/affordance-dependent-context/
そもそも「文脈」のない対話や集団間コミュニケーションは存在しない。 とすれば,そのコミュニケーションに横たわる「文脈」はどこに存在するのか,という話になる。
それじゃあ,継続的なコミュニケーションにおいて言外の「文脈」はどこに置かれるかというと,空間的・心理的な「場」である。 そして「文脈」が共有される「場」は「意味」を得てアフォーダンス(affordance)となる。
インターネットのようなフラットな空間ではアフォーダンスを形成しにくい。 このような状況で人が執る行動は概ね以下の2つだ。
「文脈」をコード化・明文化して共有する
擬似的なアフォーダンスを形成して内外を区別(包摂と排除)する
まぁ,大抵の集団は後者を選択するのだろう。 そもそも SNS 等のサービスはそのために存在するんだし。 その様子は例えば『つながりっぱなしの日常を生きる』あたりを読むと分かりやすいかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アフォーダンス
アフォーダンス(affordance)とは、環境が動物に対して与える「意味」のことである。アメリカの知覚心理学者ジェームズ・J・ギブソンによる造語であり、生態光学、生態心理学の基底的概念である。「与える、提供する」という意味の英語 afford から造られた。
ギブソンの提唱した本来の意味でのアフォーダンスとは「動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの」である。
動物と物の間に存在する行為についての関係性そのもの
例えば引き手のついたタンスについて語るのであれば、「"私"はそのタンスについて引いて開けるという行為が可能である」、この可能性が存在するという関係を「このタンスと私には引いて開けるというアフォーダンスが存在する」あるいは「このタンスが引いて開けるという行為をアフォードする」と表現するのである。要点は行為の可能性そのものである
つながりっぱなしの日常を生きる