Vulcan
惑星バルカンと言えば、SFファンなら「スター・トレック 」の登場人物 Mr スポックの生まれた星を思い浮かべるかもしれない(脱線)。しかし、過去に現実の太陽系の惑星に「 バルカン」という名がついていたことがある。「 太陽系の惑星に」というのはちょっと正確ではなくて、「太陽系にあると考えられていた惑星に」というのが正しいだろう。前の記事では,海王星発見はニュートン力学の勝利という話だったが,逆にバルカン探しはニュートン力学の限界を示してしまった。しかも皮肉なことに,両方の惑星とも,軌道計算の立役者がフランスのユルバン・ルヴェリエなのである。 前の記事に詳しく書いたが,海王星発見ものがたりは,海王星のひとつ内側をまわる天王星の観測からはじまった。天王星の軌道を計算してみると,どうにも既知の知識では説明できない。これは,天王星の外側にもうひとつ惑星があると考えると説明できるのだが,天王星の軌道データからその新しい惑星の位置を正確に予測するのは膨大なな計算を必要とする。それをやってのけたのがルヴェリエだった。1846年のことである。その結果、海王星はルヴェリエの予言から角度にして一度以内の天空に見つかった。さて、天王星 → 海王星という発見物語が大成功を収めると、二匹目のドジョウを狙いたくなるのは人情である。その流れで海王星発見の立役者であるルヴェリエは,その超絶計算力を今度は太陽系の一番内側の惑星,水星に適用してドジョウを探す。水星の近日点移動という現象は,その当時知られている惑星のニュートン力学的影響だけではでは説明できないことが知られっており,ルヴェリエは1859年に水星のさらに内側にもうひとつ惑星があると予想した。これがバルカンである.。 と、ここまで読むと、「土星より遠方の天王星や海王星ならともかく、水星の内側といえば地球のご近所なので、そこに惑星があればすぐに見つかるんじゃね?」と思われる方もいるだろう。実は筆者も最初にこの話を知ったときはそう思った。しかし、水星軌道の内側になると、太陽の光があまりに強いので小さな天体は極端に見つけづらくなるのである。水星ですら肉眼での観測は難しく、「コペルニクスは水星をみたことがなかった」という説があるぐらいでで、水星より内側に水星より小さな天体があったとしても、太陽の光でじゃまされてきわめて見つけづらい。 きわめて見つけづらいというのは、逆に言うと、存在しないというのがきわめて確認しづらいということになる。当時は CCD カメラどころか天体写真技術も発達していなかったので目視による観測が主流だった。「見つけた!」という報告を客観的に確認する、あるいは否定するのはなかなか困難だったのである。実際、ルヴェリエがバルカンの存在を予言した直後から、いくつもの発見報告がされていて(このページに詳しい),いまとなってはすべて誤報であることがわかっているが、当時は大発見とみなされたものもあった。ルヴェリエの計算結果発表直後に発見報告をしたエドモン・モデスト・レスカルボーは、その功績をたたえてナポレオン三世から勲章をもらったりしている。いまから考えると、これらの「発見」は彗星や黒点などの一過性の天体現象を誤認したのか、あるいは単なる錯覚であろうと思われるが、「あるはずに違いない」と思ってさがすと間違いでも見つかってしまうというのは科学史上よくあることである。 では,水星の軌道が計算とずれるのは,どう解決されたのか? 実はこれはアインシュタインの一般相対性理論によって,バルカンが必要ないことが正確に計算されたのである。上に書いたように、ルヴェリエの計算にもとづいた海王星の発見はニュートン力学の勝利であった。そして太陽系の外縁で勝利したこの戦略を、ルベリエは最内縁の水星の内側に適用しようとしたのだが、皮肉なことにこれはニュートン力学の限界を示すことになったのである。
アインシュタインの一般相対性理論によると、ニュートンの重力法則は厳密に正しいわけではなく、重力が極端に強くない場合になりたつ近似理論である。地球上の現象や水星以外の太陽系の惑星の運動などについては、重力はニュートンの法則が( 観測精度の範囲で)正確になりたつほど弱い。ルヴェリエの計算で海王星の存在が予言できたのはこのためである。しかし、太陽は質量が大きいので、その近くでは生じる重力もかなり強く、ニュートンの理論からのずれが無視できなくなってくる。
「無視できなくなってくる」と言っても、これはきわめて微小なもので、そもそも水星の近日点移動、つまりケプラーの法則からのずれは100 年で僅か 574 秒角しかない。ここで秒角というのは角度の単位で、一度の 3600 分の 1 である。しかもこのずれの大部分は太陽以外の惑星の影響で、ニュートン力学で説明がつく。説明できないのは、このうちのわずか 43 秒角であり、非常に小さいのだが、19世紀の観測技術はすでにそのずれを検出するのに十分な精度があった。
アインシュタインが一般相対性理論を完成させたのが 1916 年であり、その時に彼は水星の近日点移動の問題を知っていたので、すぐさまこれに応用した。そして一般相対性理論の効果がこの 43 秒のずれを説明できることを知って、非常に喜んだそうだ。そりゃ、自分があみだした時空が曲がるというとんでもない理論が、観測事実から裏付けられたら嬉しいよね。しかしルヴェリエがバルカンを予言し、多くの天文家たちがそれを探していた 19 世紀後半には一般相対性理論は間に合わなかったわけである。惑星バルカンについて,もっと詳しく知りたい方はこの本を参照されたい(日本語訳の副題「惑星を破壊した」というのは,あまり良くない気がする。「駆逐した」とかのほうがいいのでは?)。 さて、ニュートン力学による惑星探しについては 20 世紀に入ってからも、ひとつの面白いエピソードがある。冥王星発見である。冥王星については、2006 年に惑星でなくなったという面白い話題もあるが、これについては長くなるので別稿にするとして、冥王星発見の物語に目を向けよう。これは wikipeida の冥王星のエントリーに詳しい。 海王星がルヴェリエの予言どおりに見つかった後、その軌道も詳細に観測された。その結果、天王星のときと同じく、既知の惑星の影響だけでは説明できない軌道のずれがみつかったのである。海王星の軌道は太陽から遠いので、もちろんこの原因は一般相対性理論ではない。そこで、海王星の外側にもうひとつ惑星があると考える人があらわれた。そんな中で、パーシバル・ローウェルは 1915 年にルヴェリエが海王星でやったように、この未知の惑星の位置を予言した。ただし、海王星の位置予言ようにピンポイントで予言したのではなく、だいたい空のこのへん、という感じの誤差の大きなものだったようだ。
そしてローウェルの予言した空のその領域を探していたクライド・トンボーは、 1930 年に冥王星を発見する。なんと、海王星に続いて、再びニュートン力学の勝利! …となるかと思いきや、見つかった冥王星は小さすぎて海王星の軌道を変えるほど質量がないことが判明する。のちにわかったことによると、海王星の軌道が計算にあわなかったのは、海王星の質量の見積もりをあやまったためであった。では、なぜローウェルが予言した空域に冥王星が見つかったのか? これは単なる偶然であろうと考えられる。
脱線:Windows OS を使っていて、画面がフリーズしたときなどに Ctl + Alt + Del のキーを同時に押してプログラムを強制終了するという技はお世話になった人が多いと思うが、これを「 バルカンつかみ (Valcan Nerve Pinch)」ということがあるらしい。スター・トレックでバルカン人のこの技をうけた人意識を失うのを、進行中のプログラムを停止させるのになぞらえたものである。 (2024/04/20 初稿)