2024-02-28のセッションより
暫くすると、西から柔らかな風が吹いた樣な氣がして、視界に景色がゆっくりと明らかに成る。
何時の閒にか晝に成ってゐる。
赤い砂原の前方に線路の終點があり、其の先には青々と茂る植物の垣根が見える。
===此處迄前囘===
垣根は赤い砂原の地平線に長く橫たはってゐる。
私は綠のレンズを懷から出して、其の垣根の樣子を觀察する。
何處迄も左右に廣がった垣根は濃く、入り口の樣な物は見當らない。
私は垣根に近付いて行く事にする。
垣根に近付いて行くと、垣根は左右に廣いだけでなく、高さも相當な物である事が判る。
ただ、垣根に入り口が無くても、木が植ゑてあるだけなら、枝の中に突っ込んで了へば向ふ側に行けるのではないかとも思はれる。
垣根に近付くと、其れが實は垣根ではなくて、壁に澤山の植物が植ゑ付けられた物であると判る。
良く見ると、植物はどの枝も直角に曲がって迷路を爲す樣な不思議な枝振りをしてゐる。
植物が植わってゐるのは、やはり迷路の樣な模樣の溝が刻まれた黑い石の壁である。
私は其の前を步いて、どうにかして中に入れないかと考へる。
步いても步いても、黑石の壁と壁から生えた矩形の植物が何處迄も竝んでゐる許りである。
誰が此の不思議な植物を綺麗に剪定してゐるのだらうか。
私は思ひ立って、左手に宿ってゐる紫の水を使って見る事にする。
左手から紫の水を滲ませて、矩形の植物の一本を握ると、紫の水が染みた植物はシュウシュウと音を立てて萎れて枯れて了ふ。
其處に、突如後ろから聲を掛けられる。
「ちょっと! 困りますよ!」
振り向くと、紺の作務衣を著て坊主頭に白い鉢卷を卷いた初老のをぢさんが立ってゐる。
をぢさんは植物を剪定したり植栽する爲の工具を納めた工具箱を攜へてゐる。庭師なのだらう。
私は咄嗟に「濟みません。」と應へる。
庭師のをぢさんは、篦の樣な工具で黑石の溝を掘って枯れた植物を取り除き、工具箱の中から何か小さな袋を取り出すと、其の中身を別の工具で溝の中に埋めて行く。
「斯うして置けば、復た生えて來るでせう。」
庭師のをぢさんは、說明を續ける。
「此れ等の黑石と植物は、庭園を護る爲に此處に永遠に力強く茂る樣に作られた物で、此の植物は黑石から染み出る水分を吸って茂ってるんです。」
「ところが其の所爲で此の植物は、黑石の無い所、此の庭園以外では生きて行けなく成って了った。」
私が說明を聽いてゐると、庭師のをぢさんは私に問うた。
「ところで御姉さんは、何しにこんな所迄來たんだい。」
私は此の庭園が『課題が見出だされる庭園』であると(何故か)知ってゐた。
『課題が見出だされる庭園』に意圖して來たとしたら、課題を見出だしに來た以外には考へられないと思った。
「課題を見出だしに來ました。」と私は應へ、「どうやったら中に入れますか。」と問うた。
庭師のをぢさんは澁い顏をして應へた。
「自分も如何やって入るのか判らない。」
「庭園と云ふ物は、庭師の入って行けない所にある物だ。」
私は其のフレーズに聞き覺えがあった。
『王國は何時も王様の入って行けない所にある。』
『家族は何時も男の子の入って行けない所にある。』
『旅は何時も旅人の入って行けない所にある。』
差し詰め、課題は何時も課題を探す人の入って行けない所にある、と云ふ訣である。
ところが、此の構造に身を置いて了ふと、永遠に庭園の中には入れないと云ふ事に成って了ふ。
丸で謎掛け見たいだ。
此れを解かなければ、庭園に入る事が出來ない。
庭師のをぢさんは、仕事を終へて、植物を眺め乍ら步み去って行って了ふ。
考へてゐると、此の黑石の壁は、罠なんでないかと云ふ氣がして來る。
どうやったら庭園に入れるか考へてゐる內は、庭園に入る事は出來ない。
どんな旅をしようか考へてゐる內は、旅に出る事は出來ない。
さう云ふ固著した狀況に人を陷れて、でも其れで良い、と思はせるのが、此の黑石の壁の目的なのではないか。
黑石の柱の示す所の德目は、『其れで良い』である。
課題の見出だされる庭園に入る方法を必死に考へてゐるのだから、課題の見出だされる庭園に入れなくても良いぢゃないか。
罠としか謂ひ樣がない。
私は此の庭園に入らなくては成らない。
然うすると、若しかして此の庭師のをぢさんも、私が庭園に入るのを妨礙する存在なのではないかと云ふ氣がして來る。しかし、あるいは、しかも、其れと同時に、此の庭師のをぢさんは一生庭園に入れなくて其れで良いのか(良くない)と云ふ氣もして來る。
私はやっぱり此の繁茂する植物を枯らしてでも庭園に入らなくては成らないと云ふ氣持ちに成る。
同時に、此の植物を大事に手入れして來た庭師のをぢさんに惡い樣な氣もして來る。
私は紫の水を滲ませた左手を黑石の壁に突く。
紫の水が壁に迸り出て、壁に生えた矩形の植物を枯らして行く。
同時に、黑石の中から黑い水が染み出て來て、紫の水を押し戻さうとする。
突然の光景に、庭師のをぢさんは驚いて困惑してゐる。
私は更に強く黑石の壁を押す。二色の水が互ひに鬩ぎ合ひ、私の周りの植物は枯れて了った。
私はなんか言はなくちゃと云ふ氣に成り、庭師のをぢさんに、
「あなたは一生庭園に入れなくて其れで良いのか。」と言ふ。
しかし何かが未だ足りない。
紫の水の出自を思ひ出して、右手に持った青いランタンの持ち手で以て壁の黑石を引っ搔くが、尚も壁は変化しない。
赤い圓筒形は?
赤い圓筒形に手傳って!と言ふ。
赤い圓筒形は進み出て來て、其の上端を壁に向って押し付ける。
赤い圓筒形の、石の樣な金屬の樣な質感でゐて且つ飴の樣に柔らかな材質の赤い物質は、黑石に刻まれた幾何學的迷路の樣な溝に染み渡る樣に廣がって行く。紫の水も、其の樣に溝に染み渡って行く。
すると、壁の眞ん中が凹み始める。
壁の黑石の一部が、黑い土塊の樣に、オレオの生地の樣に脆く成り、ぼろぼろと崩れ落ち始める。
大分柔らかく成った所で、赤い圓筒形とタイミングを合せて黑石の壁を引っ張ると、壁の黑石が半球形にぼこっと外れてぼろぼろと崩れ落ちる。
半球形に空いた空洞の壁からは、黑色の水が滴り落ちてゐる。
其の奧に、壁の向ふの光が見える。
穴は小さくて這はないと入れなささうなので、私は服が黑色の水で汚れるのを氣にせずに四つん這ひに成って穴を潛り拔ける。赤い圓筒形も、後から這って付いて來る。
穴を拔けると、またも地平線迄廣がる樣な廣大な庭園が視界に開けてゐる。
庭園は廣大な方形を成し、段々に中央に向って少しづつ低くなる窪地の樣に成ってをり、各々の段に數々の領域が設けられてをりどの領域も色取り取りの鮮やかな花が見渡す限り大量に咲き亂れてゐる。
私は穴を覗いて、庭師のをぢさんに「あなたも來ませんか」と言った。
庭師のをぢさんは少し躊躇ったが、私達に續いて穴を潛って來た。
庭師のをぢさんは立ち上がると、其の見渡す限りの花園の光景に息を吞んで壓倒されてゐる樣だった。
庭師のをぢさんも、此の庭園を見るのは初めてだったのだらう。
===今囘は此處迄===