2023-10-18にあった斷片的なイメージ
白い柱は、『私が何をしたら良いか、私は實は知ってゐる。』と云ふ事を知ってゐる。
思考に昇った事を押し竝べて口に上せる事を實際的な生々しい行動として實踐し訓練する事で、其の實は知ってゐる所の『何をしたら良いか』を立ち所に取り出す事が出來る樣に成る筈だ。
白い柱は『(其れを知ってゐる筈だが)如何したら良いと思ふ?』と問ふが、答へられない。此の答へられない時、祭壇の前で私と赤い圓柱は重複してゐる。
赤い柱は『如何したら良いか、如何したいのか、解らない』と云ふ意味の意圖を發する。
白い柱は、「其れが解る時、此の祭壇に立つだらう。(其れが解らない時、此の祭壇に立ち得ないだらう。)」と述べる。
赤い圖柱が下がると、私と赤い圖柱は分離してゐる。私は赤い圓柱を後から見てゐる。
==考察==
此れは最初の裁判所のシーンのリフレインではないか?
(『聞きそびれた』と云ふ事が鍵に成るかも知れない)