2023-03-11の會話より
生活上の出來事によって、自分が大罪人である樣に感ぜられた。
『××を爲すとは、何たる烏滸がましさ! 死刑二囘に價する!』
私の心裡には19歲の頃から辯護人のゐない法廷があって、何かあると其處の被告人席に立たされ、
『××を爲すとは、何たる烏滸がましさ! 死刑二囘に價する!』
と檢察官に糺彈されるのである。
自分で辯護を試みれば、檢察官は
『言ふに事缺いて僞證の罪を爲すとは! 死刑二囘に價する!』
と絕叫するし、默して應へなければ
『一言の反省の辯も無いとは! 死刑二囘に價する!』
一聯のアクティブ・イマジネーション・セッション (Act.Img.)は、此の法廷から始められた。 アクティブ・イマジネーション・セッションが始められた時、法廷は靜かで、私服の私と赤い圓筒形しかゐなかった。
考へて見ると、可訝しい點がある。
あの執拗にがなり立てる檢察官は、一體何處へ行って了ったのだらうか。
法廷には、檢察官の姿が何時の閒にか無かったのであった。
此の檢察官は、そもそも一體何者なのだらうか。
今後のアクティブ・イマジネーション・セッションで、何れ姿を現す事だらう。