遊びを発明するための場所
自分が「原体験」について考えるとき常に念頭にあるのがインターネット初期で、その理由はリアルタイムに遊びが作り出される感覚があったからなのではと思っている 今どきのプラットフォーマーは「どう遊ぶか」を提示したりコントロールしたりしようとするが、人は遊ばされることを好まない
プラットフォーマーの役割とは、遊び場を外から守ることと、利用者から生まれたアイデアを後押しすることだ
1943年、コペンハーゲンの建築家は、子どもの遊び場について、ある新しい考えを思いついた。彼は、多くの子どもたちが遊び場よりも、道ばたで遊ぶことを好み、そこで見つけたものを使って、その場で遊びを発明する、ということをよく知っていたのだ。
彼の考えは、建設現場をこしらえて、それを子どもたちにゆだねる、というものだった。この遊び場は大人気となった。可能性は無限であり、それまでの遊び場よりも、ケンカも、叫び声も、ずっと少なかった。
はじまってまもなく問題がおきた。道具と材料をめぐるケンカがあいついだのだ。遊び場が無秩序になったとき、遊び場を管理している大人たちが秩序を回復し、ルールをつくるか、と思われたが、そうではなく、子どもたちは、自分たちで、道具と材料を共有するための、しくみをつくりあげたのだった。
子どもたちは、単に問題を解決しただけでなく、そうすることによって、あたらしいコミュニティをつくりだしたのである。この公園は、見た目の美しさという点では、とうてい評価できるものではないし、都市空間の管理者が期待するような、品の良さもまるでなかった。
コリン・ウォードは、こう書いている。「広場は、ちいさな自由社会である。そこには、緊張と協調、多様性と自発性、強要されない協力と、個人の資質の解放、そして、共同体の感覚が同居している」と。
そのいちばんの魅力は、そこで遊ぶ子どもたちの目的、創造性、熱意に、何ら制限が加えられなかったということにある。それらは意図的に、未完成であり、ひらかれていた。それは、利用者たちの予測できないデザインによってのみ完成される、ということを意味していた。
やたら到達目標を書かせようとする文科省のシラバスをながめながら、ふと思い出したのが、この遊び場のこと。書いたのは、アナキスト人類学者。どんな学習も勉強もアクティヴ・ラーニングも研究もイノベーションも、まずは自由な遊びからはじまる。シラバスからは、はじまらない。
https://gyazo.com/7d6c19997574d5138d0f89098663ce47
参考文献が提示されていないが、内容的にソーレンセン / ダン・フィンクの「エンドラップ廃材遊び場」と思われる。
これらのプレーパークの関係者が書いた「都市の遊び場」「新しい遊び場」が鉄板の書籍らしい。
それにしても、こういうプレーパーク的な授業が小学校の頃あったり、ミニ文化祭的なものがあったりしたのだけどそこでの体験が自分に大きく影響していると思う
また、創作をしている人同士で雑誌やムックを作ったり、コミティアのようなイベントができるのはこういうプレーパーク的なものの楽しさを暗黙的に知っているということなのだろう
レディメイドなコンポーネントやサービスに慣れすぎて、廃材で場をこしらえる楽しさへのアクセスを失ってしまっている、というのが、今のプログラミングやWebに感じるつまらなさの一因だと思う
コスパやタイパみたいな概念が出てきてしまったり(プレイパークは自己目的なのでコスパで測るとDIV/0である)、効率よくやる方法を人に聞くところから始まってしまったり、すでにあるから作ってはいけないみたいな理屈で行動力を奪われてしまう
ありものを集めて雰囲気を出す、自分を演出するのが第一目的になってしまう