自分の中の空洞を見ない、群れとして生きる
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なんだかよくわからないが、胸に隙間風が吹いているような寒々しい気分になることが増えた
孤独感っぽいのだが、状況的にそこまで孤独というわけではない
直近で褒められたり、自己効力感を感じることもそれなりにある
他人と向き合うとき諸々の理由から自信がない、なるべくネットを介す方向にしている
中年の危機→受け入れ への中間過程なのか、単なる軽いうつなのか
自分の将来や価値についてとつとつと考えていても無や喪失感と向き合うだけになるのでは
数十億いる生き物とインタラクションするつもりで関わったらいいじゃん
群れとして生きる
思考能力を一桁落とす
考えない、自分をそのままぶつける
言葉で理解するよりも多数試行からの神経学習のほうがいいのでは
他人へのインタラクションの種類を増やす
インタラクションした結果のことを考えるパスを削減する、そこは応答見ればいいじゃん
量を減らして種類を増やす
内面観察減らす
自分向けの愉快な状況を作る
楽しい場作ったから乗っかってこいやのパリピ思考を身につける
ミラーニューロン使う
自分がされたいことをする
第二波虚無感が来てる
バズった直後なので、やっぱり承認欲求関係ないと理解
選んだ孤独だとは思うのだけど蝕まれ具合がつらい
他人のプライベートとなるべく関わらないように壁を作っていて、それはマナーのためなのだけど、一人の時間の無具合がすごい
しかし例えば関わるべき相手というのが難しい
同僚にビジネス以上の関わりを求めるというのは明らかに違う
趣味の関わりは楽しいのだがトピック以外での会話はしない
自分もいろんな事情により自分の共有できるプライベートというものはない
他人を必要以上に知るのは遠慮するし、自分の腹を割るのもちょっとできない
他人を知らないことにより、逆に理想化や隣の青芝病がひどくなっている側面はある
この手の「話題がない限り人と関わらないスタンス」は今に始まったことではなくて、ほぼ物心ついたころからそう
作品を介して人と関わるということだと思う
こういう人生を歩んでいる人はたまに見る
が、ウジウジ悩んでいたりはしないと思う
このスタンスのまま行くとなんのゴールも見えないというのが一つ問題点だと思う
死ぬときに「スタンスを変えておけば楽しい人生だったのでは?」とか思いたくねえな 詰んでる場所で虚無感を埋めるのはよくないのでは
海外の人を相手にしているとき(ネットでもリアルでも)かなり感触が違う
新天地に行ったときの人間関係あばれはっちゃく状態はもうホント悩むことない
現状いる場所で詰んでる感を感じるならやはり旅(物理的なものでなくていい)しかない気もする
虚無感を感じたら転職のしどきみたいに言ってる人いたな、転職は今するつもりないけど
今だと「幸福のレールに乗ってない自分は終わりでは」みたいに毎秒思ってしまう
これめっちゃいい
フルオープン
気を使わない
15分ごとにグループをまわる
「何話してたんですか?」と強引に入っていく
自らヤバいやつを演じることで、変な振る舞いしても良いと思わせ心理的安全性を高める
変なやつがいるほうが心理的安全性が高いというのは学び