時間のかかることに耐えられない
自分は面倒くさがりだな、と思っていて、しかしよく分析すると「時間が消費されることが嫌」なのかもしれない 仕事で大きめのリファクタとかコード分析ができなくなってきてる
でかい部品を書くとかもだめだな
「ルーチンタイマー」を使い始めて、すぐ飽きるかもしれないけど、今の所うまく回っている
見事に飽きた。もって1週間だった
「時間がかかるだろうな」みたいに思ってしまうと腰が重い
仕事や風呂やコンテンツ消化みたいなものに関しても、時間をゆっくりかけるということが何故かできなくなってきている
焦る割に、行動を起こすということができなくなっている どのみち食っちゃ寝してるだけなのに、焦っている感情があるというのはメンタル上良くない
理解できるとか面白さを感じるとか、何らかの結果や刺激を得られるまでに時間がかかるということに対する耐性が減る
それなー…
SNSを見るのやめるのしばらく前にやってたけど、元通りになっちゃったな。人間関係もほぼTwitterとイコールになってきてて、人生=Twitterになっちゃってるような感覚があるね。
時間やコストを使うこと、あるいは一つのことだけをやるというのはコンテンツ的な価値が高くなりやすいと思う。少しかじってできるようなことというのはだいたいやり尽くされている。続けることでストーリーもついてくる。ゆっくり生きるというのは、自分の望むストーリーの登場人物になることを選ぶということだ。攻略本を探し回ることに時間を使うようでは、物語を味わう時間を自ら捨てるようなものではないか。
ある種、役者になりきることが必要なのではないか。別に追い詰められてもいないのにコスパやタイパにこだわる理由はなんだ。時間を咀嚼して、味を感じるということをしたい。