昔のインターネットはよかった
弱音吐いていいですか。みんな2009〜2011年の頃の頃のインターネットを理想だと思っていて、その頃に戻りたいと思っていますよね。私はその頃の雰囲気をもう一度作るべくいろいろ活動しているのですが、思っているよりもみんなノッてきてくれないじゃないですか。やめていいですか?
あ〜昔はよかった〜〜ってのは頻繁に思うので、自分なりに考えをまとめる。 2009年あたりに何が起きていたか
Android登場
サンシャイン牧場とかが流行った
Twitterが流行
(自分はおっさんなので、そのあたりともなると、今との差分があまり無いような気がしている…)
自分の考える「昔はよかった」(多分2000年前後)
teapot掲示板がそこかしこにあり、ゆるい身内コミュニティが形成され、文通のようなやり取りが行われていた CGがレアスキルだったので、絵を書いたりすると無限に褒められが発生し、アクセスカウンターがジャンジャンバリバリ回った(人を見た)
IRCをベースに、Twitterを超えるクソみたいなゆるいやり取りが行われていた
今のインターネットの良くないところ
「見られている」ことを前提に、マイクロブログを書く人のスタンスが変わってきた気がする
無意識にバズるための言葉選びをしてしまっている気がする
FavやRTのような、目に見える数値化をされたことで、それらを稼げるような行動が強化されてしまっている
「話を盛る」行為の常態化
Favを稼げる発言が「良い」わけではないのに、発言者はそれが「良い」のだと錯覚してしまう
文脈の切り貼り
文脈の一部へのパーマリンクは本当に必要なのか
とは言っても昔のインターネットを美化している点がありそう
ノスタルジー補正は確実にある
チャレンジ出来る余白もかなりあったので、単に成熟度の差とも言える 2chはそれなりに危険な場所だった(個人情報、ファイルシェアリング、風評被害、荒らしや粘着)
なんだかんだ、警察にお願いしてなんとかしてもらえるようになったのは進歩と言える
体験の共有という機能は無いに等しかった(今でも充実してるとは言えないが)
ネットの前は文通が良かった、的な言論もあった。今は文通をあえてしようなんていう人はいない レガシーインターネットはコンテンツが不足気味だった(と自分は思っている)
2chまとめ全盛期というひどい時代もあった
思うこと
すでにイライラしている人や失礼な人の行動を変えることはできない
同質の人間で集まるという解決方法がずっと取られてきた
mixiとかクラブ活動とか
必然的に衰退するという問題がある
人を厳選すれば当然盛り上がらない
宗教法人じゃなくても、LOHASみたいに、考え方に名前をつけてツールキットとして提供する いわゆる「教義・生活規範」が「生存Tips」みたいに機能している宗教もある
一方で自由じゃないとインターネットじゃないという気持ちも強くある
「誰が言ったか」が非常に強いのが最近のインターネットなので、教祖が出現し易い
きちんと場をハンドリング出来る教祖が生まれたらどうなるか
イライラしている人のイライラしている様を見ないように、守られた空間を作る必要がある
多分、似たような試みはすでに山ほどあったのではないかと思う
インターネットにちゃんとした分煙機構がないというのも問題点かも 「コミュニティの成熟と衰退」という、面白みを大きく左右する要素を分離して、昔のインターネットの面白みを抽出することは可能なのだろうか
MAKEコミュニティみたいなのが良いのだろうか
結局考えまとまらなかったな
まぁ、この辺について深く考えていそうな人に今度話を聞いてみよう。おわり。