憧れの場所で酸欠になる
有名になることへの憧れが強い世の中なんだろうけど、有名になれる数の数百倍の人間が憧れで動いているから、もうどうやっても幸せにはなれんだろうな…
どこかで、グローバルタイムラインで人気者になる、という成功モデルを捨てないといけないときが来るような気がしている。
とはいえローカルコミュニティ(身内)で満足する人というのはなかなかいない 自戒なんだけど、憧れというものはもう危険シグナルとイコールになってきてる気がする。
レッドオーシャンかつ、自分の能力と成功まで距離があることを示している気がする。
例えば自分が描きたい絵柄があったとして、そればっかり書いても伸びない
これは「その絵柄の中では」別に突出していないことや、所属コミュニティ内で需要があまりないことを示している
もし何者かになりたいのであれば、自分の日常と地続きかつ、他人には分かりづらい目標を設定する必要があるだろう。
つまりゼロから始めず、レッドオーシャンを避ける
例えば「いいね」や「RT」「フォロワー数」を指標に取ってしまうと、コピーライティング能力、流行への反応の瞬発力、あるいは誰よりも長く一つのことを続ける、あたりが中間目標になってしまう
本当にそれを評価されたいのか?
瞬発力は暇人には絶対に勝てないぞ…
例えば自分であれば、突飛なアイデアや工夫に気づいたり認めてもらえるのが嬉しい
あるいは雰囲気がある作品を作って共感してもらえると嬉しい
結果的にRTやいいねに反映されることはあるかもしれないが、実際の所は「感性の近い人間から感想をもらう」が本当に満たしたいゴールになる
逆にいくらバズろうが、上記がないと虚しい
上記がほしいだけであれば、別に有名になる必要はなくて、感性の似た仲の良い人を作ればいいだけ
「結果として」有名になるかもしれない。その場合は「他に似たような人がいない」が条件になる 難解なものをわかりやすくしてもらう
謎の概念に対するコミットを積み上げたら、他人に自分を説明してもらうのがよい
いま流行っているものがわかりやすいのは、最初にわかりやすく説明した人がいたため