世界を代謝する
生きる目的はないわけだけど、機会だけがあるんだよな。
意味ある生を追求すると、結局最後には無価値になるということがわかるわけだからしんどいわけだけど、
どう生きたところで「何かを代謝する存在」であることは変わらないのではないか。
何を代謝したいのか。どう代謝したいのか。どれくらいのスピードで代謝したいのか。
食べ物だったり、情報だったり、光景だったり、燃料だったり、時間だったり。
長年生きてきた、心地よいペースを乱してしまうわけだから、
急ぐ意味というのはほとんどないのではないかな。
それよりは、よりゆっくりと、ストロークを長く時間を使っていくべきなのだろう。
というか、そのほうが大変なのだと思う。
細切れに集中をあっちいったりこっちいったりすれば、慌ただしく生きていくわけだから充実感は得られるけれども、
何かをじっくり代謝する練習や鍛錬をすべきなのだと思う。
より深く、手戻りのないやり方で。
代謝を深く深くしていきたい。