ウェストミンスター周辺
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シティが商業の中心とするならば、ウェストミンスターは倫敦の行政、法曹、宗教の中心地です。この地域は元々は倫敦とは独立した地域でしたが、倫敦が拡大を続けていくうちに合併してしまったのです。
■この地域に含まれる地区
・ウエストミンスター地区
メイフェア
ペル・メル
■この地域のホットスポット
倫敦中心部にある地区です。ここにはロイヤルオペラハウスと青物市場が相接しています。また、ロイヤルオペラハウスの真向いには中央警察法廷もあります。まるで縁のないようなオペラハウスと青物市場、そして中央警察法廷が同時に存在しているというところも、倫敦の面白い点だといえるでしょう。ここは一日の間にその印象を目まぐるしく変える場所です。
ソーホーは、北をオクスフォードストリート、東をチェアリングクロスロード、南をシャッフルベリーアベニュー、西をリージェントストリートにそれぞれ囲まれた狭い地域を指し、その北東の角にソーホースクウェアがあります。ここには世界中の歓楽が、一堂に集められているともいわれています。また、伝統的に売春婦やポン引きのたむろする場所でもあります。倫敦有数の歓楽街でもあり、またエキゾチックな雰囲気の店も多くあります。華僑や印僑の店もあり、英国人以外の人間も多数出入りしています。
また、ソーホーには違法人格ソフトの闇売買を行う商人や、人導機械のための悪質なプログラム=カルテを売りさばく人々がたむろしています。ここでは当局も掴むことができない情報も売買されています。ソーホーで最も質の高い情報を扱っているのは『ジョン・スミス』と呼ばれる情報屋で、ピカデリー・サーカスとイーストエンドのホワイトチャペル地区に出現する情報屋と全く同じ顔、同じ声、同じ情報を持っています。この三人のことは倫敦の裏社会では有名で、三人のジョン・スミスと呼ばれています。
18世紀にウエストミンスター伯グロウナー家によって、倫敦でも最高級の住宅地に整備された小さな地区です。2つの地区に分かれており、ハイドパーク寄りの地区では貴族たちの邸宅が建ち並んでいます。もう1つのボンドストリート周辺やサヴィルロウ(背広の語源になったと言われることからもわかるように、高級テイラーが何軒もあります)には王室御用達の高級店が軒を連ねています。
宮廷使用人の居住地であり、倫敦でも「王室の街」として君臨する最高級住宅地です。17世紀にチャールズ2世がセントジェームズ宮殿に居を定めた時から、この街は貴族たちが住み、彼ら目当てに高級商店や喫茶店が林立しました。この喫茶店から、倫敦の伝統であるクラブの観念が生まれました。
ペル・メル
クロケットの原形であるフランスの「パイユ・マイユ」(もしくはイタリア語読みの「パロ・デ・マリヴォ」)が名前の由来で、かっては球技場への通り道でした。セント・ジェームズ宮殿の威光にならってこの周辺一帯はハイ・ソサエティな邸宅が立ち並びました。ペル・メルからセント・ジェームズ通りにかけては、自由党の『リフォーム・クラブ』、保守党の『カールトン・クラブ』、ホームズの兄マイクロフトの通う「ディオゲネス・クラブ」、日常冒険者たちの『トリビアル・アドベンチャラーズ・クラブ』などの多くのクラブハウスがあります。金銭だけでは入ることの出来ないクラブが並ぶ、誇りと名誉に溢れた地域です。
セントジェームズパーク
倫敦でもっとも小さく、もっとも手の行き届いた最古の公園です。ヘンリー8世が観賞用に造らせた庭が代々の王によって華やかに改築されていきました。ヴィクトリア女王所有の白鳥やフラミンゴなど多くの鳥が放し飼いにされ、気候によってはスケートも楽しめます。また、東側にはホースガーズの閲兵場があります。
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ウェストミンスター国会議事堂
テムズ河の岸に建つウェストミンスター国会議事堂は、もともとウェストミンスター宮殿であり、歴代の国王の住居でした。その後、16世紀にヘンリー8世がホワイトホール宮殿に移動し、次いでセントジェイムズ宮殿へと居を移しました。現在では国王は、バッキンガム宮殿に常住しています。
さて、現在のウェストミンスター国会議事堂は、1834年にウェストミンスターホールを残して焼失したものを、1860年代にチャールズ・バリーが再建したものです。ゴシック様式の細部のデザインは、オーガスタス・W・ビュージンによって行なわれました。この国会議事堂の鐘が、『ビッグ・ベン』です。ベンジャミンという人物が製造したため、この名で呼ばれるようになったという伝説があります。また、この国会議事堂の地下にも、巨大な導引機械が設置され、議会政治のスムースな進行に一役買っています。この物理的計算機械の名称も、『ビッグ・ベン』といいます。この導引機械の設置された当時(1870年代後半)の首相が、『ベンジャミン・ディズレイリ』だったことが名前の由来となっています。
ホワイトホール
ウエストミンスターの一地区で、チューダー王朝時代にホワイトホール宮殿が建てらたが、宮殿は1698年に焼け落ち、バンゲディング・ハウスだけが残った。その後、18世紀にホース・ガーズ(近衛騎兵旅団屯所)が、次いでヴィクトリア時代に内務省、外務省、連邦省、大蔵省などの官庁や首相官邸などの中央機関が建てられるようになった。
セント・ジェームズ宮殿
チューダー王朝時代に使用されていた宮殿で、ヘンリー8世の命で建築されました。現在、ヴィクトリア女王はバッキンガムに居を移しており、この宮殿には近衛兵や侍従たちが住んでいます。皇太子との接見などの皇室行事でしか使用されませんが、名目上は現在でもこの宮殿が正式の宮廷です。近衛兵団連隊司令部、通称『ホース・ガース』や海軍省などがここの敷地にあります。
ザ・マル
1660年に作られた通りで、王室の儀式やパレードの際、行列の通る道として有名です。この道はセント・ジェームズ・パークの中を通る散歩道で、ニレやシナノキ、プラタナスが植えられています。
ウェストミンスター・アヴェイ
この大聖堂が建設されたのは1065年のことで、倫敦塔建設よりも少し前のことでした。その後の800年以上の間に何度となく増改築が行われています。この大聖堂は、倫敦に残る、中世最古のものであると同時に、ウイリアムI世(征服王)以来の歴代の王が戴冠式を挙げる場所でもあります。さらに同時に数多くの英国史中の有名人達の墓所にもなっています。この中世ゴシック風の大聖堂は、正面や翼廊の窓に華麗なステンドグラスを持ち、聖人や天使達がバラの花を形作っています。また、この大聖堂の床には、至る所に死者の石棺や、墓碑が埋められています。その人々は、国王や王子、貴族、騎士、そして近世以降は歴史上の人物ばかりです。例を挙げるなら、リビングストン(探検家)やチェンバレン(政治家)、ニュートンやワットなどの科学者もここに葬られています。また、南翼廊を占める『ポエッツコーナー(詩人コーナー)』には、シェイクスピアの大理石製の立像があり、さらにはワーズワース、ブレイク、バーンズ、ミルトン、ディケンズ、ラスキンなどの文豪達の記念像や記念碑が、所狭ましと立ち並んでいるのです。そしてこの大聖堂には、倫敦最大級の『導引機械』が存在します。この導引機械は、『ハイ・オルター』と呼ばれる祭壇の地下に設置されており、国家的な(そして宗教的な)事柄が起こったときに、カンタベリー大聖堂の大司教(大教主)の手によって、導引機械に火が入れられることになっているのです。この導引機械は『ザ・ウェストミンスター』と呼ばれています。
ニュースコットランドヤード
スコットランドヤードといえば、ロンドン警視庁のことを指すことは、よく知られていますが、この名が(主として推理小説などで)世界中に轟いたのは、1890年からのニュースコットランドヤードの時代においてです。ニュースコットランドヤードは、ウェストミンスター国会議事堂のすぐそばの景勝の地に陣取っています。テムズ河べりにそびえ立つ三つの城−これが、建築家ノーマン・ショウによる傑作としてうたわれる、ニュースコットランドヤードの外観です。この建築にも導引機械が据え付けてあります。しかし、この導引機械は、ヴィクトリア朝にあるまじく、実用本位の無骨な外観として知られています。無骨ですが有能で、犯罪のデータ整理や犯人の推測などに役立っています。この導引機械の名前は、スコットランドヤードの創設者にちなんで、『ピール卿』と呼ばれています。
ヤードの導引機械は、かつてある種のプログラムによって論理組織が破壊されたことがあります。現在は修繕されていますが、再びこのような事件が発生しないという保証は、どこにもありません。
【接触可能なNPC(データは『第1部第7章 倫敦名士録』を参照)】
警部:レストレイド
警部:リバーブロンズ
バッキンガム宮殿
1837年にヴィクトリア女王が即位して以来、この宮殿は王の常住の場所として機能しています。この建物が完成したのは1703年のことでした。この宮殿以前は、セントジェイムズ宮殿を宮廷の所在地にしていましたから、比較的新しい宮殿であるといえるでしょう。
ヴィクトリア駅
倫敦・チャタム&ドーヴァー鉄道と、倫敦・ブライトン&サウス・コースト鉄道の2社が乗り入れていた駅です。いずれも南西部方面(ドーヴァー、ブライトン、ポーツマス、ヘイズティングスなど)に向けての列車を運行していますが、前者が大陸からの観光客用の高級路線で、後者が一般の庶民向け路線であった事から両者の中は悪く、両路線の間には壁が設けられています。大陸への玄関口で、バッキンガム宮殿の近くである事から、英国と大陸の紳士淑女が集う華やかな駅です。
ピムリコ
18世紀にトマス・キュービットの手によって開発された地区ですが、同じく彼が手がけたベルグレーヴィアに比べると閑静な住宅地です。オーブリー・ピアズリーはここに住んでいます。
ミルバンク監獄とテート・ギャラリー
19世紀倫敦において、最も大きな刑務所がウエストミンスターとチェルシーとの間にあるミルバンクにあります。1821年にジェレミー・ベンサムが犯罪者の更正の為に建てた星型の監獄です。ミルバンク監獄は1897年に廃止され、その年に貿易商のヘンリー・テートが跡地に自身の収蔵品を納める美術館を作りました。これがテート・ギャラリーです。テート・ギャラリーには英国を代表する画家、ターナーのコレクションがあります。
リージェントストリートの南端の広い十字路を「ピカデリーサーカス」と呼びます。この有名な広場は、倫敦の華やかさの代表といって良いでしょう。劇場にも近く、繁華街というにふさわしい街並と、その繁華街を往来する人々の数を誇っています。
ピカデリーサーカスには、広場の中央の離れ小島のようになっている部分に、矢を射ろうとしているキューピッドの像が立っています。この像は『エロスの像』として知られています。この像は19世紀の博愛家、シャッフルベリー伯爵をたたえるために1892年に建てられたもので、本当の愛のシンボルです。
このエロスの像を盗もうと、当局に予告する輩が過去に何度も出現していますが、ことごとく退けられています。しかし、人通りの多いこの場所での完全犯罪は事実上不可能と言えますが、それでもそれにチャレンジする者は後を絶ちません。
またこの広場には、倫敦の裏の世界に詳しい情報屋「ジョン・スミス」がうろついているという噂です。
倫敦で最も有名な広場(スクウェア)は、トラファルガー広場とも呼ばれるトラファルガー・スクエアです。ここには高い石柱が立っており、その頂上の部分に彫像が立っています。この人物はナポレオン海軍をトラファルガー海戦で撃破したネルソン提督です。この石柱の四隅には、それぞれ大きな銅製のライオンの像が並んでいます。この広場の北東の角にはセント・マーティンズ・イン・ザ・フィールドという有名な教会があり、そのすぐ隣に王立美術館があります。
この広場が倫敦の中心だと考えて良いでしょう。この場所はいつも観光客や田舎から出てきたお上りさん、そしてそれらの人々を狙う掏摸や大道芸人で一杯に混みあっています。
広場の象徴なっているライオン像には何らかのメカニカルな仕掛けが施されている(またはメカニカルなものにいつの間にか置き換えられた)という噂があります。それらの機構を正しい順番に作動させると、地下へ続く階段が口を開くという話です。真偽はわかりませんが、もし真実であったとしたら、魔道士の住む街への入り口なのかもしれません。
オクスフォードストリートは倫敦最大の目抜き通りです。東京でいうならば銀座通りに当たり、商店街として機能しています。この通りには衣料店や百貨店が多く、「オクスフォードストリートは服を買う場所だ。英国人ならどんな隠遁生活を送っている人間だろうと、それぐらいは知っている」という言葉からも、その実態が判ろうというものです。この通りの中間点は、オクスフォードサーカスという地名が付けられていて、ここに交差する通りを南へと下るのが「リージェントストリート」です。
オクスフォードサーカスから南に下る通りがリージェントストリートです。この通りの南端がピカデリーサーカスです。ピカデリーサーカスよりの2〜300メートルは、緩やかな湾曲を描き、6階建てに統一された建物とあいまって、いかにも優雅です。この通りには大きな百貨店ではなく、古くからの専門店がそろっています。またこの通りの周りに走る通り(ボンドストリート、ジャーミンストリート、ニューボンドストリートなど)には、さらに高級な老舗が軒を連ねています。
■この地域のキーキャラクター
・リチャード・リバーブロンズ
・マイクロフト・ホームズ
・レストレイド
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