生成AIは「言語情報だけで意思決定できる人」が使いこなせるもの
だと思う。
生成AIの性質:
基本的に言語を入力して、言語で出力される
出力は正しいとは限らない
出力の品質は入力次第であり、通常入れる出させるそれを見てまた修正して入れて出させる……のループが必要
出力はただの言語情報であり、その先は自分で判断して行動に移さねばならない
個人的にはブレスト、もっと言えば発想法の営みに近いと思ってるsta.icon
発散と収束を繰り返しつつ、「これだ!」という本質を特定する(蒸留)
生成AIはその役に立つ
発散を担わせることもできるし
収束させてみることもできる
生成AIにやらせて、その結果を見て自分がどう処理するかを判断する
例: Cosenseで生成AIも使った週次レビューをするもそうか
毎回ネクストアクションや代替案を20~30個提案してくるのだけど、全部をやるのは不可能。何をいつやるかは結局僕が決めなきゃいけないsta.icon
この営みは思っている以上に難しいらしい
大胆に言えば「孤独な作業」だと思う
PCの前に座って、ただただ生成AIという機械が出す言語情報と向き合い、意思決定をする
望みの出力がなさそうなら、出るまで粘る(何度もまわす)必要がある
もちろん無限に時間はかけれないので、どこかで割り切らないといけない
しかしある程度の時間と気力は要るので、その確保は必ずやらないといけない
etc
一言でいえば、孤独への耐性だと思った
たとえば1日1時間、生成AIと向き合うだけの時間をつくれるか?
つくったとして、毎日向き合えるか?
クリエイターとは比較的相性がいい
(ここでクリエイターとはエンジニアやプログラマーなどコードをつくる人も含む)
クリエイターはすでに孤独に作業することに慣れてる
作業の手段が変わるだけ
「生成AIにやらせたのをレビューする」というチェッカー、あるいはマネージャーになるというパラダイムシフトは耳タコだと思うsta.icon
なので、生成AIが使えない人は、おそらく言語情報で意思決定する経験を先に積んだ方がいい
少なくとも意思決定の経験は積んだ方がいい
一番かんたんなのは何かをつくることである
小説でも、プログラムでも、ブログ記事でも何でもいい
自分ひとりでつくりきって、誰かに(不特定多数でもいい)公開する
これ、意外と稀少なのよねsta.icon
マネージャーや経営者といった人材であっても、包括的思考的に「周囲の状況うかがってそのとおりに動いてるだけです」的なケースも多い気がする
あるいは人間と対面で向き合って享受する「非言語情報」ばかりに頼っている
こういう人は政治に生きてて、情報や議論そのものよりも、一緒に過ごす量や好き嫌いや気分で決めてる。悪いとは言わないし、必要ではあるが、やり方が一元的かつ原始的。ブロードリスニングも理解できないし、何なら政治じゃないと否定したりする(安野さんも政治オタクや老害から色々食らってるよねw)
まあ「言語情報ベースで集団で意思決定する」はまだ人類が成せてないことなので、歴史的にそれなりに上手くいってる政治に頼ろう、政治が正しいってのは自然ではあるのだけどsta.icon
これは発展的な話題なので置いといて
このページでは集団ではなく個人で使いこなすことを想定
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@hayakawagomi: 生成AIの業務活用!みたいな時に、すごい雑に言えば「考える→決める→実行する」の"実行する"にAIを活用しようとしがちだけど、それはどちらかというと自動化の話であって、AIを活用するのであれば"考える"や"決める"のリプレイスなんだけど、そう理解されづらいよな。
考えてる人や決めてる人が、その一部や大部分をAIに任せるという形で使える
逆を言えば考えてない人や決めてない人は使いようがないsta.icon
さらに辛辣に言えば、生成AI使えない人はおそらく考えてる人や決めてる人じゃない
この辺はわかりづらいので、僕はこのページのとおり「言語だけで意思決定」と表現したsta.icon