疑うべき常識を見極めるための選球眼
哲学を学ぶメリットの一つとして「選球眼をつける」と挙げている
見送っていい常識とは、「便宜を実現しているからくりの中身」?
挙げられてる例
見送っていい例
信号の青が進めで赤がなぜ止まれなのか
時計がなんで右回りなのか
疑うべき例
会社には出勤しないといけないという常識
いや、単純じゃないなsta.icon*2
出勤だって便宜を実現しているからくりの一つ
「変えられるもの」かなぁ?
たとえば出勤は「リモートできるやん」だから、疑える
たとえば「信号の色変えようぜ」は、現実的ではない
「変えても本質的に情報量が変わらないもの=見送っていい常識」?
信号の色は、色を何にしようと「三色分をアサインする」という情報量は変わらない
時計についても、右回りだろうが左回りだろうが「進行方向」という情報量は変わらない
こういったものは「歴史が既に決めたアサイン」に従えばいいsta.icon*2