推しという概念
AKB48時代からあったのが今はスパチャにも波及している
日本において投げ銭が高い支持を受ける理由は、日本にある「推し文化」と相性が良いためとも言われる。いわゆるAKB48のイメージだ。
日本には、自分が周囲に勧めたいほどお気に入りのアイドルなどの存在を「推し」といい、CDやグッズを購入して推しを支援することに喜びを感じる文化がある。
一種の搾取と見る向きもある
~~のために、という利他的な感覚っぽいな?
「これだけスパチャしたんだから反応してくれよ」ではなさそう
VTuberちょっと見てみたけど、スパチャしてる人達は「こんなに金入れたのに反応してくれない……」なんてことはしてなかったsta.icon
まあする人もいるかもだけど
そういえばチチチチでもヒロインの一人にn人付き人みたいなファンがついてるんだけど、これも「ただただ見守ってるだけです」「絡まれることは想定していません」みたいなこと言ってる 自分を拠り所にできないから推しを拠り所にする説
今の社会は「向上」「変化」「自己実現」を強く求められている気がします それを自分駆動でできない人は社会に合わせられなくて辛いから、今の時代は過剰に推しが求められているという側面もあるかもしれませんね
(この書き方だと「自分を拠り所にする方が偉い」に見えるがそういう他意はないsta.icon
(むしろ自分!自分!だとちっとも幸せになれなくて辛いので逆に羨ましい
推しがあると感情が動くらしい
sta.iconがToLOVEるのモモに恋しかけたときもたしかに感情かなり動いてた気がする(正直覚えてないけどたぶん(そしてこのページは「した」ではなくて「しかけた」と書いてるな 井戸端では、このページが扱ってるものとは別の概念も扱っている
列挙する
あこがれとだいぶ近い。近づきたいteyoda.icon
好き、応援したい、干渉しない、熱狂。アイドルから来てる文化biwachi.icon
恋愛とは違う愛着。ガジェットとかにもあるinajob.iconnishio.icon
人とそいつが生み出すコンテンツが渾然一体になったものに愛着を感じる的なものではnishio.icon
オタクが自分の好意の加害性と向き合って発明された概念という説明がしっくりきてるmtane0412.icon 自分の好意の加害性?
応援は推しよりも距離が近い
あ、今ピンと来たかもsta.icon
好意や熱意が暴走するファンがいた
それじゃ駄目だ。迷惑かかるやろ。態度改めよ。どうする
好きだけど一歩引いて応援しようや。そういう概念つくろうや → 推し
単にファンが「アイドルの◯◯が好き」ということで終わらずに、他人にも推薦・アピールする、つまり「推し」ていくことで、アイドルの認知度があがる。「ファンがアイドルを育てる」という意味にも近い流れが形成されていった。その新たなムーブメントが「AKB48選抜総選挙」のようなイベントを生み出すことにもつながり、アイドルとファンとの距離が近づくと同時に、ファンたちに一種の“タニマチ感”を与えることになった。
「所属欲求に近い」
承認欲求が充たされることもない。にもかかわらず人々が「推し」を推すのは、承認欲求とは別の社会的欲求が介在しているからで、これは、マズローの欲求段階説でいえば所属欲求ということになる。
面白い見方だし辻褄通る
俺が推しを理解できないのも、所属する気がないからだsta.icon
さらに「推しの対象とは理想化自己対象である」と言っている
コフートはナルシシズムを充たしてくれる対象を鏡映自己対象、理想化自己対象、双子自己対象に分類した。 鏡映自己対象とは、
自分のことをほめてくれる・見ていてくれる・大事にしてくれる、そのように体験される対象だ。最も典型的には、乳幼児にとっての母親や母親的役割の養育者がそうだろう。成長してからは、自分を評価してくれる友達やライバル、自分に「いいね」を付けてくれる相互フォローの人、自分のことを推してくれる人、などがここに含まれるだろう。付き合ってくれる異性も、多かれ少なかれ鏡映自己対象として体験されがちで、それが目当てで異性を必要とし続ける人もいる(ただし、そのような男女は、モテるタイプでもモテないタイプでも見透かされるものだ)。鏡映自己対象を介してナルシシズムを充たす体験は、だから承認欲求を充たす体験によく似ている。
投影してもらうことでナルシる
理想化自己対象とは、
自分が尊敬したり憧れたりする対象を指し、「推し」*1も理想化自己対象に相当する。「推し」を推す時、私たちはなんらか心理的に充たされた気持ちになるし、そのとき承認や鏡映自己対象を欲しがる欲求はなりをひそめるが、それは理想化自己対象である「推し」をとおしてナルシシズムが充たされているからだ。
わからねぇ……sta.icon
が、一Scrapboxユーザーとして、Scrapboxが流行ると嬉しいみたいなのはこれかもしれない
要は代替しているわけだsta.icon
俺だったら代替自己対象って名付けるねsta.icon
ナルシストというと、世間的には自分のことを褒められたがる人や特別扱いしてもらいたがる人、マズローでいえば承認欲求を、コフートでいえば鏡映自己対象を他人に求めてやまない人というイメージが先行するかもしれない。しかしそれだけではない。何かを熱烈に持ち上げずにいられない人、「推し」を推さずにいられない人もナルシストだ。たとえばカルト集団の教祖と、それに熱をあげている信者は、教祖も信者も熱烈なナルシストである。
習熟と社会性次第で害になる
やたらと自分自身を褒められたがっているナルシストもきついが、「推し」を過剰なまでに理想視したり、「推し」に過剰なまでに入れ込んで思いどおりにあって欲しいと願い過ぎるナルシストもきつい。
鏡映が不足してると「俺を褒めろ褒めろ」「俺はもっとできるはずだ皆が雑魚で見る目がないんだ」とかになる
ぎくっsta.icon
理想化をこじらせるとストーカーや信者になる
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