メタワークという言葉は色んな人が色んな意味で使ってる
ゲームでたとえると、ゲームをプレイするのではなく攻略本を書くこと
マルチワーク
nの仕事を横断的にこなすこと
あそび
直接仕事はしないが、仕事に繋がる・生かせる(かもしれない)何かをする
コンテキストスイッチング
仕事に入る前の意識切替作業
仕事Aをこなすのではなく、Aの分析や組織化を行うこと
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とりあえず既存でないか調べてみる
株式会社メタワーク
メタワーク支援市場
が、ググっても何も出てこない
「ゲームを上手くプレイする」と言うのは、直接的な仕事ですが、「『ゲームを上手くプレイする』ことができるように攻略本を書く」といのは、一次元高次な間接的な仕事、「メタワーク」です。
メタワークは、直接的な仕事より、仕事としての難易度は高いため、ゲームが上手い人でも、上手く攻略本を書けるとは限りません。
同じニュアンスsta.icon
上手くゲームをプレイ出来ない人は、攻略本を書くところまでたどり着けない*1ので、必然的に「うまく攻略本を書けるゲーム」と言うのは、少なくなる傾向にあります。
そうだろうか?
注釈では
ゲームが下手でも攻略本を書くのが上手い人が理屈上は存在しますが、顕在化する機会が少ないので発見されるのは稀です
こうだと思ってる
初心者を底上げするための初心者向け攻略本を書く
俺のイメージはまずここsta.icon
中級者を底上げ or パワーアップさせるヒントを詰めた攻略本を書く
できればここもsta.icon
上級者用の攻略本を書く
これは稀少
まずスポーツなど感覚で勝負する世界は情報多すぎて言語化無理 or 言語化してもどこかで「ウン千時間鍛錬して筋肉・神経身に付けろ」ゲー
学問では理論重ねれば可能だが一朝一夕ではない
広くて深い理論のごくごく一部を更新する人がたくさんいる世界
いわゆる専門家、研究者
train.iconバランスを説いているね
ゲームを上手くプレイすることで、価値を提供していた会社が「誰でも出来るゲームを誰でも出来る攻略本を元にプレイする」状態に陥る危険性があります。
ちょっとわかりづらいので修正sta.icon
「"ゲームを上手くプレイすること" によって価値を提供していた会社」が「誰でも出来るゲームを誰でも出来る攻略本を元にプレイする」状態に陥る危険性があります。
登大遊さんも似たこと言うてたな
職人じゃないけど、それなりに高度なことにはそれなりに属人性が必要って話sta.icon
そこを無理やり汎化すると、そもそも高度なことができなくなる
労働の一つ上のレイヤーを設けて、使えるようにするってイメージかしら
さらにこれらの価値シフトが重なり、「会社に通う生活」という平板なライフスタイルではなく、一億総複業時代の幅広いメタワークによる自己実現・自分表現機会を通じて、日本人の得意な N 次創作、遊びアレンジ能力が遺憾なく発揮され、世界的にも多彩で豊かな国土・風土を舞台に、世界が憧れる集う生活文化が育まれるのではないでしょうか。
これは「仕事には直接役に立たないけど何かの役に立つかも」的なニュアンス
多元化として
都会や田舎やどんな場所でも複数の場所に自由に移動しながら生活するマルチハビテーション、複数の会社や組織や様々なプロジェクトで仕事をこなすメタワーク、多様な家族やコミュニティに複数属するマルチコミュニティで生活していく人が増えていくだろう。
マルチワークと混同してない?
好意的に解釈すれば「汎用的なスキルで貢献する」というやり方ゆえに「色んな場所で活躍できる」を実現できるsta.icon
アルゴリズム思考術という本
次に戻ったときにすぐに仕事に戻れるようにするためにロードしやすい、リプログラミングしやすくセーブするのが必要があります。しかし、この作業はメタワーク(周辺業務)であり、仕事が前に進むものではありません。コンテキストスイッチが入るたびにメタワークは必要となります。
コンテキストスイッチングなど「仕事に入るために必要な作業」
周辺だから撤収作業も含めてるかな?sta.icon
そしてメモリのキャパを超えるとひたすらメタワークすることになり、スラッシングしてシステムダウン(思考停止)になります。
train.iconわかるofわかる
スラッシングという表現は俺も使っている
俺は「コンテキストスイッチング」という言葉を使ってるけど
学ぶことが楽しくないだけでなく、多くの場合、時間の無駄のように感じます。私はそれを「メタワーク」と呼んでいます-あなたの仕事を分析したり組織化したりすることに時間を費やしています。やりたいことがたくさんあるとき、メタワークは自分を掘り出そうとするのではなく、雪崩の下に断熱された洞窟を構築しているように感じることができますが、実際にやっているのは、先の仕事に備えてツールを研ぎ澄ますことです。
仕事Aをこなすのではなく、Aの分析や組織化をこなすこと
ああ、なるほど、意義や価値を疑うがゆえに、Aに取り組むのではなくAのあれこれに取り組んでしまう(から計画どおりに進まない)と言っているのか