マイクラバーチャルオフィス(SFプロト1)
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「暑い……」
朝日が昇らんとしている。換気のために窓を開けていたが、もう限界だ。早朝でこれなのだから温暖化にもほとほと参る。今日も36℃を超えるだろう。はぁ……幸いにもエアコンさえ壊れなければ問題ない。ピッと当たり前のように電源を入れ、窓も閉めてから、僕はデスクにつく。PCも起動し、さらにデスクトップから起動するのはマイクラ。数多く並ぶワールド名から「株式会社HelpThink」を選ぶ。僕が勤める会社である。クリックしてログイン。
ガラスの天井と壁が目に入った。
内装はログハウス風で、木の温かみが出迎えてくれる。まるでペンションのラウンジだ。外が吹雪ならばミステリーとして映えるだろう。
「原田さん、お疲れ様です」
くだらない妄想をしていると、真上から誰かが落ちてきた。うさぎの着ぐるみを着た、可愛らしいアバター。それがこちらを向き、ブンブンとパンチを繰り出す。マイクラ上で行えるアクションは少ない。この動きは「お疲れ様です」という言葉に負けないほど多様な意味を持つ。もちろん、この場合は挨拶だ。僕も左クリックを連打して、彼女のテンションに乗る。今度はペコペコしてきた。スニークと呼ばれる「しゃがみ」の動作だ。これも多様な意味を持つ。日本人の得意分野である。だからこそ、こうして仕事で使えるほどに発展してきたのだろうと僕は思っているし、実際マイクラのバーチャルオフィスとしての利用は日本がダントツで発展している。僕もやはりスニークを連発しながら、しばし彼女とはしゃいでいた。あはは、と陽気な笑い声が届いてくる。早朝なのに元気だ。
「誰もいなくて退屈してたんですよー」
「ブラマイでもしたら? ダイヤ足りないんでしょ?」
「一緒にします?」
ちなみにボイチャはDiscordがベースとなっているが、ブラウザから操作する必要はない。内部的にDiscordの仕組みを使っているだけで、音声の指向性は完全にマイクラと同期している――つまり僕と彼女は今、物理的にそばにいるから会話できている。
「いや仕事したいんだけど。アイデア詰めないと」
彼女との会話は嫌いじゃないからいけない。僕は集中して考えるために、こんな早くから出社したのだ。断る文句を脳内で練っていると、スチャッ、とギラギラしたつるはしが出てきた。エンチャントガッチガチのネザライトつるはしである。
「ブラマイしながら話しましょうよ。手伝います。代わりに手伝ってください」
危ねぇ目の前で振るな。一発当たってるぞ。
「俺はマルチタスクできない派なんだが」
彼女の手がもう一度動く――つるはしがこちらに飛んできた。投げたのだ。近距離なのですぐに拾ってしまう。やはりエンチャントガッチガチだった。これをつくるのに一体どれだけの手間をかけたのか。
「それ、譲りますから」
「いや要らん」
「即答」
残念ながら僕はアイテムでつられるタイプではない。愛用は鉄と石で、洞窟を漁ってるばかりの原始人なもので。
遠慮する仲ではない。僕はその場で逃走した。ダッシュジャンプを駆使してテーブルを飛び越え、階段を駆け上がり、窓から外に飛び降りる。もちろんホットバーにはバケツがあって、着地の瞬間に水をばらまき、すぐに回収――水バケツ着地である。間髪入れず走り出す俺。
もう彼女は追ってこなかった。引き際はわかっている、だからこそ人気がある。先週も後輩から告られたらしいな。どうでもいいけど。
俺は自ら建造した集中エリアへと向かう。
さっきいた場所はラウンジと呼ばれており、オフィスでたとえるなら喫煙室、給湯室、ロッカールームを複合したような場所だ。小難しい言葉を使うと、マグネットスペース。特にランチタイム時は数十人が集まるらしい。僕は騒がしいのが苦手なのでまともに通ってないけど。
さて、僕の集中エリアは、あそこに見える山のてっぺんにある。あえて山の上につくるなんて、バーチャルであろうと物好きの所業だろう。同じことをしている人はあまりおらず、社員の9割はラウンジの近くで働いている。別に逆張りをしているわけじゃない。ちゃんとした理由がある。織田信長だって毎日一時間かけて通っていた。運動効果というだけでなく、移動時のゆとりがコンテキストスイッチングの役目を果たすのだ。僕はこのゆとりを軽視していないし、これを確保できることがマイクラの強みだとさえ考える。
3分ほどで到着する。丸石でつくられた豆腐ハウスがあり、ドアを開けて入ると、何の工夫もない、初心者丸出しの独房のごとき空間がお出迎え。隅にデスクブロックが置いてあり、これを叩くことで自分のデスクトップへとログインできる。
デスクブロック。
MaaVO――マイクラ As A バーチャルオフィスにおいて欠かせないのがランチャーブロックであり、ブロックを叩くことで様々な環境とシームレスに繋がれる。デスクブロックは、自分のデスクトップ環境にアクセスするためのものだ。内部的には Azure のインスタンスに繋がっており、要はマイクラからリモートデスクトップを繋いでいる格好である。
この概念が2024年吉良野すたに提唱されて以来、MaaVOは急速に発展し、2027年現在では多数の企業で使われている。PCにはマイクラしか入れていないという人も当たり前にいる。まさかマイクラ上で仕事をする世界になるとは……世の中、凄いことを思いつく天才がいるものだ。
僕のデスクトップが表示される。
使い心地はリモートデスクトップと全く同じ。Windowsで、メモリは64GB、ディスクはSSDで8TB、CPUも開発や研究には十分なスペックだ。
ここからの体験は、10年とさほど変わらない。テキストエディタを開き、最近詰めている新事業のアイデアを引き続き詰める。発散はし尽くしており、あとは収束をどうするかだ。何を選ぶかという取捨選択と、どうやって皆に伝えるかという表現の試行。やり方は人それぞれで、ブラウザベースのアプリを使ったり、付箋ブロック――マイクラ上でブレストやらKJ法やらを行ったりする人もいるが、僕はテキストエディタ派だ。頭の性能が乏しく、ひとりで集中するタイプの僕は素早く書けることが何よりも大事。10年前からこのやり方は変わらない。まだしばらくブレイクスルーが起こることはないだろう。
その後、2時間ほど僕は収束に明け暮れた。
「……ちょっと遊ぶか」
MaaVOの象徴的な特徴は、マイクラで遊ぶことが積極的に許容されていることである。吉良野すたはコミュニケーションタイム、特にゲームタイムと名付けているが、メンバーが一緒に過ごして親近と信頼を構築するため「だけの」時間をつくる、というものだ。特に当社では仕事が落ち着いたり、今日の分が終わったりしたのなら自由に遊んでいいことになっている。
彼女が手持ち無沙汰だったのもそのためだ。明後日にブース出展のスタッフを行うが、準備厨の彼女はすでにすべての準備を終えている。明日くらいから再び調整に入るだろうが、それまでは普段どおり遊ぶのが彼女流だ。毎日コツコツと手を付けて途切れさせたくない僕とはまるで違う。違うスタイルの社員が当たり前に共存しているのも当社の特徴と言えるだろう。これもMaaVOのおかげだろうな。マイクラのアバターは見た目も動作もデフォルメされているため、可愛く見える。この効果が馬鹿にならず、感情的感傷的にならずに和やかに議論しやすいのだ。
6分ほど走り回って、「あ、原田さん」結局彼女のところに来てしまった。
僕も素直じゃない。そんなことはわかっている。
「意外と早く落ち着いたから。手伝うよ」
「あざまーす」
ネザライトつるはしを受け取り、さあ一緒に掘ろうかと構えたところで、
「あ、原田さんはそっちを掘ってもらえませんか。はしご型で掘ってるんですよ」
ああ、そういうこと……。でもそれだとあまり喋れなくないか。まあ隣の通路を確保すればボイチャが通じる距離ではあるけど、ちょっと遠い。
「一緒に掘らない? 二人並んで幅2で掘る感じなんだけど。はしごや風車よりも効率が良いって海外で話題になってた気がする」
「二人で、並んで? イメージが湧かないです」
「こんな感じで……」
さりげなく嘘をつく僕。「気がする」と保険をかけているのもださい。MaaVOで仕事のやり方が革新されても、自身の小ささは何も変わっていない。
それでも、そんなことは秒でどうでもよくなる。
「おー、いいですねこれ。孤独じゃないのがいい感じです」
良かった、刺さってくれたようで。ぴょんぴょんとジャンプしながらブンブンとつるはしを振っている。可愛い。
「んじゃー早速始めちゃいましょう!」
まだ朝は早い。
もうしばらくは、彼女との時間を過ごせる――。
僕たちは深層岩を掘り始めた。