チームのタスク管理と個人のタスク管理の考え方の違いや共通している点
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一言で言うと、次のとおりである。
チームのタスク管理とは、個人のタスク管理に「担当者という属性」が追加されたものである。
タスク管理とは個人のタスク管理であり、ここに担当者という概念はなかった。すべてのタスクは自分が行うものであり、またタスクを他者にわかるように表現する必要もないからだ。しかしチームではそうはいかず、少なくとも「誰がやるのか」を扱う必要がある。
本質的にはこれだけだが、無論、担当者という概念だけでチームのタスク管理が回るかというとそうではない。実際はもっと複雑である。たとえばよく使われる属性としては担当者、発行者(Owner)、貢献者(Contributor)、購読者(SubscriberまたはWatcher)などがある。
これを切り口にしてうまく納得するレベルまで膨らませたい。
同じ
タスク管理の種々の本質は全く同じ
たぶんここももっと言語化した方がいいだろうsta.icon
ただチームのタスク管理の方が複雑で、個人のタスク管理では要らなかったことも扱う必要がある。上述の属性はその一つ。
違う
ベース。個人は人生管理もしていてその一環でタスク管理もしているが、チームではプロジェクトの一環でタスク管理をしている。個人は人生をベースにタスクを捉えるが、チームはプロジェクトをベースにタスクを捉える。
たぶん箇条書きでガンガン列挙するのが良さそうかsta.icon
誰がやるかの概念とベース、この二点でいけそうかsta.icon
それ以外のコンテンツはこの二点からの派生でくくれそうな気がする
本質を言えば、個人タスク管理は自分の好きにできる。チームタスク管理は誰がやるかのコントロール(ファシリテーション。あるいは「コントロール」みたいな独裁でもいいけど)が要るのと、ベースが個々の人生ではなくプロジェクトなので「個の事情を度外視する」必要性。
管理のMCAでいうと、タスク管理はControlであってManagementではない。しかしチームにはManagementが必要。たとえば個々の事情もちゃんと考慮するだろう。 総括すると、タスク管理だけではチームマネジメントはできない。個々の事情を考慮する部分がタスク管理でできないので。
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まとめるか
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チームのタスク管理と個人のタスク管理の考え方の違いや共通している点inajob.icon
まず共通点から述べよう。タスク管理という営為そのものは個人でもチームでも同じである。
個人でプログラミングするのと、チームでプログラミングするのとで、プログラミングという営為が変わらないのと同じことだ。プログラミングは個人でも学べるように、タスク管理も個人で学べる。その辺の個人が実践・啓蒙しているタスク管理を学べばそれで良い。
違いについては、本質的には二つに集約できよう。
1 チームタスク管理には「担当者」という概念がある
2 個人タスク管理は自分の「人生」をベースにするが、チームタスク管理は「プロジェクト」をベースにする
担当者については、誰がそのタスクをやるかという概念である。
個人だと「自分のみ」だったので考えるまでもなかったが、チームだとそうはいかない。もちろん「誰がやるか決めたらおしまい」というほど単純ではない場合が多く、「"タスクの遂行に必要な管理" に必要な概念」は適宜導入する必要があろう。たとえば役割だけ見ても担当者、発行者(Owner)、貢献者(Contributor)、購読者(SubscriberまたはWatcher)と4種類くらいに分けたりする。
見てわかるとおり、個人のタスク管理よりも本質的に難しい。「決めたらおしまい」になることはまずありえず、継続的なフォローや監視、また状況に応じたリアサイン(担当者の修正や追加)なども求められるからである。
不幸なことに、タスク管理が行えるのは、管理のMCAでいうControlだけである。計画(タスクという形で外に出されたExpect(期待))がそのとおりに動いているかどうかを管理するだけ。一方、フォローや監視やリアサインといった営為は状況や人を相手にした人間的なものであり、Managementの範疇である。Controlの概念であるタスク管理では、この部分はどうしようもない。 そういう意味では、実はタスク管理だけではチームのタスク管理は成功しない。
ベースについては、タスク自体への干渉を何に基づいて行うかということだ。
まず干渉とは「そのタスクをやめる」とか「延期する」とか、はたまた「別のタスクを追加する」といったような、タスクの実施とは一段上の、タスクそのものを操作(追加、更新、削除)することである。干渉は好き勝手に行っていいものではない。そんなことをしては「私は何もしませーん」と怠け者になったり、過労死に至るまでこなしまくったりと極端な悲劇に陥ってしまう。
ちなみに担当者を変えることも(タスクの中身の操作ではあるが)干渉と言える。単に中身を操作する以上に影響が大きい(少なくとも前担当と後担当の二人という人間に影響がある)からだ。
この干渉を行う際に用いる理が、個人とチームとで違う。
個人の場合は、人生である。自分の人生、自分の意思や意志にしたがって適当に決めれば良い。何が重要かは自分次第である。たとえば、パートナーとお子さんをお持ちの人がおれば、その人にとってその家族に対する対応は最優先となろう。一方、私から見ればどうでも良い。極端な話、彼らが死のうがどうしようが知ったことではない。家族が最優先という尺度は、あくまで「その人にとって」でしかない。そして、それで良い。自分にとっての尺度――重要性に基づいて、タスクにも干渉すればいいのだ。重要なものはタスクにすればいいし、何なら優先すればいい。逆に重要でないものはタスクにする必要さえなくスルーすれば良い。あるいは「~~をなくす」ためのタスクを立てることもあろう。いずれにせよ、あなたの人生次第なのである。
チームの場合は、プロジェクトである。プロジェクトには目的があり、これを達成するかどうかがすべてだ。達成できるように担当者を割り当て、進捗を管理し、それで達成できそうになければ干渉を行う。このとき、考慮されるのは「できない者を外すこと」と「できる者を割り当てること」、あるいは「引き続き従事させるか、より追い込むこと」だけだ。しかし見かけ上は単に担当者や締切が変わっているだけに見えるため、なぜそうしたのかがわからない。もちろん言語化して管理対象にするものでもない。なぜなら、このような考慮はManagementだからだ。
たとえば担当者が変わることを例として、よくあるのは右記であろう。――チームメンバーやマネージャとの相性が悪かった。家族の急病で仕事できなくなった。上層部に圧力をかけられた。単に実力が足らなかった。
このような理由は(当人達における)個人的な事情にすぎず、千差万別である。またプロジェクトとは何ら関係がない。ゆえにプロジェクトとして、特にタスク管理として管理することはないし、できない。
もちろん、だからといって「しない」のは論外であろう。このようなManagementを怠るマネージャーを無能と呼ぶ。しかし状況によっては、メンバーを人間扱いしないで「戦力になる駒かどうか」で扱った方がビジネス上は良いこともある。メンバーとして過ごしたいかは別として(そしておそらく過ごしたいという酔狂な者はいないであろう)。
いずれにせよ、干渉の背景がタスクに反映されることは、通常はない。
干渉とはタスクそのものを操作するレイヤーであり、タスクの状態を操作するタスク管理とはレイヤーが違うからだ。
しかし、個人タスク管理だと、干渉の背景はわかることが多い。自分自身で管理してきたのだから当然だ。もちろん分量が多すぎたり、頭が悪いとか発達障害であるとかいったハンデがあったり、などにより難しいことはある。ちなみに、このような背景を重視したやり方として文芸的タスク管理が注目されている。日記や備忘など普段のノートにタスク「も」書き、上手く抽出を駆使することでタスク管理を成立させようとするものだ。ベースがノートであり、ノートには背景も書き込んである(はず)だから、背景について理解・記憶・配慮しやすいのである。 チームタスク管理の場合はそうもいかない。というより、干渉の背景はまずわからないと見て良い。わかるのは当時そのチームにいた(一部の)メンバーだけだ。基本的に、彼らの頭の中にしかない。
ここで「それは日本がハイコンテキスト文化だからじゃないか。外国では違うのではないか?」と考えた者がいるかもしれないが、残念ながら日本に限った話ではない。
そもそもコンテキストの違いは「コミュニケーションにおいてどこまで細かく話すか」であり、タスク管理をはじめ「言葉としてどこまで残すか」は関係がない。後者はれっきとしたスキルかつパラダイムであり、これが最も進んでいるのは日本のScrapbox界隈であろう。
それに、ネガティブなコンテキストについては、人前で共有することが憚られる事が多く(皆の前で叱ることを良しとしない文化と同じだ)、皆に見えるシステム上に書き込むこともこの範疇になる。文化に抗うことを行える者はほとんどいまい。99%の人間は(悪意など明確な意図がある場合を除けば)そのような発想さえ抱かない。
要するに、チームタスク管理において干渉の背景が書き込まれる(管理対象になる)可能性は、現時点ではゼロに近い。
改めてまとめよう
共通点について
チームだろうが、個人だろうが、タスク管理そのものに差異はない
個人のタスク管理を学べば、それはそのままチームのタスク管理でも活かせる
差異について
チームの方には二つほど追加要素がある
1 担当者。「誰がやるか」と「そのファシリテーション」が必要である。
2 干渉の背景が(当時かかわったメンバーにしか)わからない。また管理する(記録を残す)こともほぼ起こり得ない。
🤔
これも重要だけど、実用的なことを言えていないので微妙
いや、文芸的タスク管理などコンテキストまわりで繋げられるから、あえて取り上げるのもありか
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書いた
干渉の話はややこしくなったので一部別ページ化した