ぼっちという多様性を配慮してもらう案
ここは本質じゃないsta.icon*2
だって既に会社1の社員である俺も全然配慮されねえし仕事ありつけねえもん 耳聞こえない障害者に「喋れや」とは言わない
時短しなきゃキツイワーママに「時短すんなや」とは言わない
あけすけすぎる職場で傷つくHSPに「気にしすぎなんだよわがままか」とは言わない
これはまだ微妙かもsta.icon
etc
内心どう思われているかは知らないが、まっとうな場所であれば配慮はしてもらえる
されない場所はブラック
もちろん「その制約があると明らかに仕事に支障が生じる場合」は配慮以前に戦力外にするしかないけどもsta.icon
が、ここも工夫次第だとは思う
最初から「こういう人じゃないとうちではやっていけないです」で採用してるならまだしも、メンバーシップ型の世界であれば「誰が来ても働けるように配慮する」べきだろう
たとえば「接客業チームに来た、耳聞こえない人」であっても
耳聞こえない状態で接客できる余地があるかもしれないし
接客はしないけど他に手伝える仕事があるかもしれない
↑ こういうの考えずに「接客として使えないからゴミ」と評する画一主義は本当にゴミ 配慮対象にぼっちも加えたい
ぼっちの定義はあえてしないけど、いったん「俺がある程度ストレスフリーに働ける」 した ぼっちの特徴
うまくやる演技はできても、精神と志向がダメなので長続きしない
欲求はある
利己的であり、孤独である
つまり、これらの特徴があってもうまくやれるようにする(してもらう)ことが必要
どうすればいいか(どうしてもらいたいか)
利己的なので、利己的に動ける余地を確保する
強い紐帯に組み込まない
承認の機会を設ける
インターネットのように自由に顕示できるようにする
SNSのようにいいねやアクセス数
社員 to 社員でいきなりコメントし合ったり、言及し合ったりする etc
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仕事やキャリアに繋がる、でも良い
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オープンな承認機会と言っても良いsta.icon
クローズドな仲に入って、そこで反応をもらう ← これしか手段がないのがきつい
仲で馴染めないと、反応をもらえないことになる
情報をオープンにする
その場にいなくても、馴染めなくても、(最低限)関係者なら誰でも自由に読めるようにする
「参加した人だけが知ってます」「知りたいならお前も参加しろ(この場に馴染め)」はきつい。横暴とさえ感じるsta.icon
オープンにできないなら、その責務からは除外する