アナロジーに基づく一般化
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ここでは、上記の本にまとめられる以前の医学書院のHP連載記事の「アナロジーに基づく一般化」に関する記事のみを抜粋
前回は「あらゆる一般化は類推をベースとしている」ということを明らかにしました。それを受けて今回は,類推の条件を考えてみたいと思います。その前にまずは一般化と科学性の関係を把握することも兼ねて,前回とはまた違った観点から,なぜ看護学をはじめとする人間を対象とする科学において一般化が必要となるのかを考えてみましょう。
“みなし”が科学を支えている?
われわれは通常すべての水は完全に同一のH2Oだと思っています。しかし構造主義科学論の提唱者である池田清彦氏が「H2Oも人間がものすごく小さくなったら,同じ形ではなく,ひげが生えていたりといった微妙な違いがみえるかもしれない」と言っているように,原理的に考えれば,それは“同じとみなしている”だけなのです。同じとみなしても齟齬をきたさないため違和感が生じないだけ,ということもできるでしょう。
実は,程度の差はありますが,この“みなし”という行為があらゆる科学を根底から支えています。
第7回でもお話ししたように,科学とは現象を上手に説明することができる同一性(構造)を追求する営みといえます。「上手に説明できる」ということは,言い換えれば,「そのようにみなすことで,現象をうまく説明,予測,制御可能になる」ということなのです。その結果,あまりに上手に事象を説明している構造は,あたかも実在しているかのように感じられ,本来“みなし”だった部分はすっかり忘れられて,「H2O」という不変の同一性(コトバ)が外部世界に実在すると思うようになるのです。
なぜ一般化が要請されるのか?
さて,この話は一般化と関係あるのでしょうか? それが大ありなのです。水を対象とした場合は,日本のH2Oも他国のH2Oも完全に同じとみなして基本的には問題は生じません。
日本で確認(検証)された化学式は,他の国で通用しなくなるということは,基本的に(それが間違っていなければ)ない,と考えられるわけです。したがって,そのように同じとみなせる程度が高い場合,一般化が問題になることはほとんどありません。
しかし看護学が対象とする「人間」においては,そう簡単にはいきません。「人間」は物質的存在であると同時に,精神的,言語的,文化的,社会的存在でもあるという多分に曖昧なコトバだからです。したがって,看護学が対象とする「看護行為」をはじめとするさまざまな事象は,それ自体が曖昧さを含む事象であるため,そのコトバがもつ曖昧さに比例して,同じとみなすことが難しくなります。
例えば,「インフォームドコンセントに関する看護師の意識」とひと言でいっても,時代や国や地域によって,どのような制度下でどのような施設で,どのように働いているのかといったことによっても,当然異なってくるでしょうから,それを一様に同じとみなすことにはどうしたって無理が生じます。まさにそのために,一定の科学的手続きを経て得られた知見であっても,「その知見はどこまで一般化できるのですか」という指摘がなされるのです。
一般化とは,素朴に同じとみなすことができない人間を対象とする科学において,「その知見がどこまで当てはまるとみなすことができるのかを確認したい」という要請から求められた方法概念ということもできるでしょう。
類推の条件とは何か?
ここで,前回の最後まで話を戻します。こうしたことからも,看護学(人間科学)においては調べた“その事象”のみならず,他の人や施設等に適用できること,すなわち「一般化」が重要になるわけです。前回は,そのうえで「既知のAは新奇の事象Bにも当てはまるのではないかと類推する心の営み」が一般化の根底にあるということを論じました。
では,何かを理解しようとした際に,類推が働く条件とは何でしょうか? 言い換えれば,何を手がかりにして類推はなされるのでしょうか?
……それは「類似性」です。われわれは,ある対象を理解しようとしたとき,他の事象との類似性を手がかりに「あれはこれに当てはまるかもしれない」と類推しているのです。
これは先ほどの,同じとみなすことができる程度と無関係ではありません。例えば,薬品をつくる際などにはまず十分な動物実験において薬品の効果を確かめます。これはマウスと人間に哺乳類という点で類似性を見出しているため「マウスを対象とした実験結果は,人間にも当てはまるかもしれない」と類推しているということもできます。その上で,人間を対象とした臨床試験を行うわけです。このように,同じとみなせる程度(類似性)が高いほど,「あれはこれにも当てはまるかもしれない」という類推は働きやすくなります。こうした営みが成立しうるのは暗黙裡にこの類似性を根拠にしているともいえます。
しかしその一方で,われわれは一般的にはまったく異なる物の間に類似性を見出し,「もしかしたらあれはこれに当てはまるかもしれない」と発想することがあります。画期的な発明といわれるもののほとんどが,このような跳躍した類推からなされていることはよく知られていることです。
アナロジーに基づく一般化
さて,ここでモンダイです。それでは研究において類似性を確認するポイントとは何でしょうか? それを明らかにできれば,人間の持つ類推という能力を活かして,従来の直接的一般化の原理的不可能性を超える新たな一般化の方法を確立することができるはずです。
……それは「構造化に至るまでの諸条件」です。前回,「ある母集団に統計学的に一般化できた知見も,他の範囲に適用するときには,その適用先の情報について知り,それが本当に適用できるのかどうかということをその都度検討しなければならない」と述べましたが,実はこのときに手がかりになるのが「構造化に至るまでの諸条件」なのです。
要するに,ある研究において,どのような関心に基づき,いつどこで,どのような対象に対して,どのようにアプローチしたところ,どのような結果(構造)が得られたかを手がかりにして,「この研究で示されている構造は,自分の所属する施設(目の前の患者)にも当てはまるかもしれない」と類推することが可能になるのです。
すなわち,ある研究で示されている知見(構造)が,理解しようとしている対象にも当てはまるのではないかと推測するためには,少なくとも「構造化するに至るまでの諸条件」を押さえたうえで,理解しようとする対象についてもある程度知っている必要があるということです。
以上を踏まえれば,新たな一般化を次のように定式化できます。
「構造化に至る過程を手がかりにして,既知の構造(知見)が理解対象である事象に当てはまる可能性を類推すること」。
これを「アナロジーに基づく一般化」と呼ぶことにしましょう。これによって,前回述べた一般化の原理的不可能性を超えて,数量的研究においても,一事例の質的研究においても一般化可能な方法概念(理路)が整備されたといえます。またこうした議論から,構造構成主義においては,科学性を担保する条件がそのまま一般化可能性を担保する条件を満たしていることがお分かりでしょう(註)。
次回以降は,数量的研究(疫学的研究)と質的研究(事例研究)に大別して,アナロジーに基づく一般化を実際の研究にどのように導入・応用できるのかみていきたいと思います。
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註:こうした議論は『ライブ講義・質的研究とは何か SCQRMアドバンス編』の第22回「構造構成的存在論-言語論-構造論」と第23回「構造構成的-構造主義科学論」といった原理的な基礎づけを背景としています。なお,これによって現代医療の根本問題の一つ「エビデンス」の原理的基礎づけも可能になります。『看護学雑誌』にて京極真氏により連載されている「医療の零度」にて第4回から展開される予定ですので,ぜひ参照していただければと思います。