ストイックな無能
予備校時代、受験科目のデッサンの練習をかなりストイックにやっていたつもりだったが、まったく実力は伸びなかった ストイックになる対象がズレていたんだと思う、ただ苦しければそれで良しみたいな感じだった
「効果的な練習をすること」ではなく「苦しむこと」に全力投球していた
ゴールは現時点から北にあるのに南に全力疾走しているみたいな感じ
進行方向が正確であればスピードは遅くとも目標へ近づくし、明後日の方向へ走っていれば全力疾走でも進みはしない
修練を持続的にやるときは練習の評価に初期コストをかけるとか定期的に中間評価をした方が良いなと思った 前述した失敗のハマりかたを犬の道と言うらしい
「自分が今やっていることは意味があるのか?」という問いは定期的にした方が良いなと思った
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なぜあんなにストイックだったのかというと、自分が周りと比較して無能だと認めることが嫌だったから
無能でも何か突っ走っていれば「無能から脱しようとしているもの」、つまり非無能を装うことが出来る
走れてさえいれば目的は達成されるのだから、練習が効果的とかそういうことは別にどうでもよかった
あの時自分が成長するためには、プライドを捨て、自分より能力の高い他人の言うことを素直に聞く必要があった
だが、逆に自分が同じ境遇の他人にアドバイスするとして、易々と「プライドを捨てろ」と言うのは違う気がしてきた
だってプライドを捨てるのって怖いし
「恥」とか「メンツ」というものがもたらす行動への拘束力はすさまじい
「嫌いな他人から手に入れた有益な情報を自分に取り入れる」ということは相当な心理的抵抗がある
プライドを捨てるという行為は、「今までの自分は間違っていた!」と決意を固めて格好良く手放すのではなく、本当に何もかも上手くいかなくて、今まですがりついていたものがどうでもよくなり、結果的に捨てられる、という流れだと思う
能動的に捨てられるものではないと思う
ズレた方向へ全力疾走すること自体は悪ではないと思う
南の果てに別のゴールがあるかもしれないし
無いかもしれんが
自分が全力を注いでやってきたことが、全く価値の無いことだったとしても、それはそれで良い