500円玉貯金のたとえ
以下の記事の一文
経済学同様に「積み重ねる努力」をここでは仮にストック型努力と呼ぶ。
ストック型努力は別に間違っちゃいない。目標額まで貯まる=目標達成というイメージ自体は恐らく正しいだろう。
これが無駄な努力・報われない努力となり得るのは、量しか問わないなら、「努力の中身」で失敗するからだ。
500円玉を入れていっぱいにすれば100万貯まる貯金箱があったとしよう。あれに1円玉とか砂とか入れて、「一杯になったのに100万溜まってない」とか言ってる奴いたら頭おかしいだろう。叶うわけがないな。
この比喩が「無駄な努力」の説明として一番しっくり来る感じがする
とはいえ安直な努力をしてしまいたくなることもそれはそれで分かる
安直な、というのは例えば結果が見えやすいその場しのぎのテクニックに飛びつくこととか
このあたりの「早くうまぶりたい」みたいな欲求と上手く付き合っていくのが肝要か
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亜種としていわゆる「血のにじむような努力」みたいなのが好きなのもいるが、下手すりゃ「質」についての迷子でただの苦行マニアになりかねない。これもどちらかと言えば「量」メインの考えと言える。
後どうやって血をにじませるのかっつったら、やっぱりただの考えなしの反復であることが多いしな。ハッキリ言うがその方が「早く血がにじんでくるから」、そういったメチャクチャなことをやりたがるのはいる。
かも
血がにじんでいる方がなんとなく頑張った感は見えやすいということはある
まあこの辺り気を付けるべきか、こういう「他人に見せる用の努力」みたいなのは私も心当たりがあり…