ホントつきのパラドックス
注意
矢田部俊介ではホントツキ文と紹介されていた.まあ細かい表記だから気にしない. ある島民が「私は正直者だ」と言った.この島民は正直者か嘘つきか?
島民が実際に正直者であるなら,「私は正直者だ」という文は「件の島民は実際に正直者である」ということを意味している.これは確かに正しい.実際に正直者だから.
島民が実際には嘘つきであるなら,「私は正直者だ」という文は「件の島民は実際には嘘つきである」ということを意味している.これは確かに正しい.実際には嘘つきだから.
すなわち,発言社がどちらであったとしてもその文が意味していることは正しい.
この文には何かしらの意味が存在するのか?
ホントつき文にこのような何かしらの(メタ的な)意味が存在するのか? すごい雑な翻訳を行えば,次のことが言えるだろう.
ある体系$ \mathscr{S}
$ \mathscr{S}の文$ s \in \mathsf{Sent}_\mathscr{S},$ \mathsf{Sent}_\mathscr{S}は$ \mathscr{S}上で構成可能な任意の文全ての集合.
任意の文$ sに関して,システム$ \mathscr{S}は正しいか間違っているかを判定出来る能力があるとする.
この能力の強さには,3パターンある.
1. 任意の$ sに対して,「$ sは正しい」と「$ sは間違っている」のかならずどちらか一方のみが判断される..(ピッタリ一致パターン)
2. ある文$ sに対して,「$ sは正しい」と「$ sは間違っている」の両方が判定される.(過剰な判断パターン)
この否定は以下である.もちろん認められないこともあるが,
2'. 任意の文$ sに対して,「$ sは正しい」と「$ sは間違っている」の両方ともが判定されることはない.体系の無矛盾性 3, ある文$ sに対して,「$ sは正しい」と「$ sは間違っている」の両方ともが判定できない.(判断の欠乏パターン)
この否定は以下である.
3'. 任意の文$ sに対して,「$ sは正しい」と「$ sは間違っている」の少なくともどちらか一方は判定できる.体系の完全性 当然ながら,パターン1が望ましい.
が,残念ながら体系$ \mathscr{S}がある条件を満たすならパターン3,およびそういう文が構成可能であるというのを示したのがGödelの第1不完全性定理である. パターン3は嘘つきのパラドックスのアナロジーで例えられる─すなわち,「$ sは正しい」を「私は正直者だ」,「$ sは間違っている」を「私は嘘つきだ」に対応させれば─ ところで,その条件には「$ \mathscr{S}はパターン2ではない」というのを含んでいる.
書いていて思ったが,(ほとんど価値はないとは思うが)「$ \mathscr{S}はパターン3ではない」を仮定すると$ \mathscr{S}はパターン2ではないという結論が導かれるのだろうか?